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documentary 2014.11.(最上部ガ最新。下カラ順ニドウゾ)

ontology.245(シモツキ二週目)


十一月某日 document.13

「ビートたけしの浅草キッド」



【↑久々に料理】

おはようございます、コバ・ジュンです。

昨日は相当荒れていた模様です。天気もボクも。

全然記憶に無いんですが、リビングが水浸しになっており、二階の書棚からは本が床に散乱。たぶん酔っぱらって転んだかなにかしたんでしょうね。というか大丈夫か俺。「血糖値400ですね」なんて医者に言われる夢も見るし、相当身体にダメージが来ているのでしょう。といって貧乏暇無し、日銭暮らしの俺達にゃもっともっと大事なことがある。



タイトル。


ビートたけしさんの著作で「浅草キッド」という小説があります。これは、たけしさんが大学を中退し、その後浅草フランス座で深見千三郎という大師匠の元、コメディアン修行をして、売れるまでの経緯を書いているものです。

フィクション部分も多数ある様ですが、読み物として大変面白く、落ち込んだとき、自分の道に迷ったときは必ず読み返します。今まで何度読んだだろう、数えきれません。

小説の終わりは、たけしさんがツービートとしてあの漫才ブームに乗り、CX「オレたちひょうきん族」のタケチャンマンとしてブレイクしている時、深見師匠がひとりアパートで焼死したという悲しい結末で締めくくられます。

諸行無常の感はありますが、それをたんたんと描いていて、「俺はお世話になった人達にまるで恩返し出来なかった」という形で終ります。この「悲しみを悲しみとして表面に表さない」というのがたけしさん文体の魅力であって、他の著作である『菊次郎とさき』でも、そのペーソスが「感情移入してくれなくたっていいよ」という感じで書かれています。でも読んでいるこちら側にとっては、凄く悲しい出来事なんですよねえ。この文才、素晴らしいと思います。


というわけで、「浅草キッド」を読み返そうという気分になってます。ちょっと落ち込んじゃってるのかな?頑張ってはいるので心配ご無用ではありますが。

ボクの大好きな劇団、俳優「高倉良文」さんが主宰する『ネコ脱出』。いつの舞台だったかは覚えていませんが、生で「浅草キッド」を演奏していて、あれは染みたなあ。また再演してくれることを願っています。

最後に、そう、歌になってるんですよ「浅草キッド」。この歌詞を書いて終わりにしたいと思います。youtube動画もあげておきますので、良かったらぜひ聞いてみて下さいね。染みます。


ではまた。



『浅草キッド』

お前と会った仲見世の 煮込みしかないくじら屋で
夢を語った酎ハイの 泡にはじけた約束は
灯りの消えた浅草の 炬燵ひとつのアパートで

同じ背広を初めて買って 同じ形の蝶タイ作り
同じ靴まで買う金はなく いつも笑いのネタにした
いつか売れると信じてた 客が二人の演芸場で

夢を託した百円の 投げて真面目に拝んでる
顔に浮かんだ幼子の 無垢な心にまた惚れて

ひとり訪ねたアパートで グラス傾け懐かしむ
そんな時代もあったねと 笑う背中が揺れている

夢は捨てたと言わないで 他に宛なき二人なのに

夢は捨てたと言わないで 他に道なき二人なのに


十一月某日 document.12

「念願の角打ちデビュー!」



【↑モノクロ大通り】

デブー!

はい、コバ・ジュンです。

最近体重増加が著しくて困ったものです。なぜかお腹空いちゃって空いちゃって。また自転車漕ぎを再開せなあきまへんな。

さて、一昨日のことです。

モデル事務所の大先輩である「へいさん」に、かねてより念願であった「角打ち(かくうち)」に連れて行って頂きました。

さて「角打ち」。言葉だけは日記にも何度か登場しているので御存知のお方もござりましょうが、簡単に説明すると、

「飲む事の出来るスペースを設けた酒屋」

の事です。居酒屋じゃあないですよ。酒屋です。

皆様のご近所にも酒屋はありますよね。あの店内でお酒が飲める、と思って頂ければOK。前々より興味はあったのですが、なかなか行く機会がなく、今回案内してもらったというわけです。

待ち合わせは、横浜橋商店街。あいにくの雨模様となりましたが、ワクワクしていたのであまり気になりません。そしてほどなくへいさんと合流し、一軒目の「田原屋」へと連れて行ってもらいました。


商店街をふたつ通り抜け、ちょっとした住宅街の中にその店は現れます。うお、店内には酒が売っている、そして飲めるカウンターもある!これだ、これこそ望んでいた角打ち!

お店に入り、マスターがお出迎え。へいさんがお札をカウンターに出し注文。ボクも注文。当たり前なのですが、すぐに背後の冷蔵庫から頼んだものが出て来ます。

ここで初めて気付いたのですが、角打ちの魅力というのは、

「原価である事」

例えば居酒屋等で生ビールを頼むと、一杯¥500くらい取られますよね。しかしここは酒屋。通常に売っている値段で飲めるという訳です。ビール350mlが¥250としたら、その値段でそのまま飲めるのです。なるほど〜!

つまみとして缶詰を頼み、そのうち他のお客さんも現れ色々盛り上がりました。


そして二軒目。角打ちではないのですが、店の名前が「フライ屋」。ぐほお、まるでビートたけしさんの「浅草キッド」さながらではないか。♪煮込み〜しかない〜くじら屋で〜
メンチカツ、レンコンの揚げ物などを冷酒で流し込みます。

お腹いっぱいご馳走になった後、へいさんをお送りし、下りの京急に乗り込みました。



で、

やはり冷酒のパワーは凄く、ここからあまり覚えてないのですが(爆)、

たぶん杉田にある行きつけの焼き鳥屋に行き、ごちそうさまをして気付いたら降りる予定の駅を二駅も過ぎており、そしてiPhoneとおみやげが見事な程手元に無く、駅員さんに「すみません携帯落としました探して」と泣きつき、手を尽くしてもらうも見つからず、さてどうすべえという中、駅員さんから「今乗っていた電車が戻って来ますから、その中で探せばあるかもしれません」とのお言葉で、では戻って来た電車で探しませうと気合い入れてみたら、案外簡単に座席の下にあるのを発見し一安心、うひひ、治安の良い日本に生まれてブラボー。


で、ここで帰れば良いものを、地元駅の行きつけのバーでアーリーお湯割りを飲んだなあたぶん。なんだかんだちゃんと家には帰り着いたので結果オーライですね。

そんなわけでコバ・ジュン角打ちデビューは、相も変わらずべろんべろんな感じで幕を閉じたのでした。でもとても面白かったので、近いウチにまた行きたいです。


ではでは。


十一月某日 document.11

「帯広のあの夜…」



【↑安いんだよ!】

どうも、コバ・ジュンです。

北海道から帰ってきてから、毎日毎日「日記を書かねば!」と思っているのですが、どうやら疲労がかなりたまっているらしく、パソコンの前に座っただけで眠気が…。

しかし何とか今日は頑張れそう!よし、あの夜の事を一気に書こう!


それは、北海道に渡ってから5日目のことでした。それまでのボクと言えば、現場→ホテル→現場の繰り返しで、まるで自分の時間を持つ事が出来ず。まあ仕事なので仕方ないですが。苫小牧→幕別→千歳→長万部→札幌→帯広と、とにかく走り回っていました。ご飯は毎食コンビニで…orz

しかし、その5日目、なんと現場が16時で終わり、そこから次の日の朝までフリー!なんて時間を手に入れる事が出来ました。予想してなかったのでテンション上がりまくり!おいしいご飯食べに行くぞ〜!

と言いつつ、実はその前日、札幌で少しだけ時間が取れたので、ススキノまで歩いて行き、ホルモンとジンギスカンを頂いちゃいましたが。一時間半くらいだったけどね。



で、前述の「休養メイン」となる次の日。場所は帯広。札幌より東に200kmほどの場所です。ホテルに着くなりすぐに普段着に着替え、街へ繰り出します。まだ日は沈んでおらず、存分に景色を楽しみながら歩きます。

で、第一の目的地到着。



「ぶた丼 とん田(とんた)」さん。

駅から少し距離がありますが、「帯広に来たならここ!」というくらいの有名店だそうです。北海道出身の俳優さんに教えて頂きました。K右さん、ありがとう!

そして、少し待たされましたが、出て来たのがコレ。





豚バラ肉がこれでもかと乗った一品。外の寒さと反比例するかの様に、熱々の丼は最高の美味しさを疲れ切った身体に与えてくれました。

ちなみにこれ、おいくらだと思います?



なんと¥680なんやで!さらにプラス¥250で、肉とライスを大盛りにできます。つまり¥1,000以下で存分に豚バラ丼を味わえちゃいます!帯広に行った際はぜひ!


で、そんな豚丼を堪能した後、ホテルに戻るとまだ18時前。うーん、食べ足りないし、飲み足りない。しゃあねえ、再度夜の街に繰り出すかあ!なんて思いながら、iPhoneで「帯広 飲み屋」なんてのを検索していた時の事です。


検索候補に、こんなんが出て来ました。


「寿司考房 山」


ん?

なんだか凄く懐かしさを覚える名前だ。何だったっけ…

そこでボクの頭はフル回転し、過去の記憶が一気に甦りました。


12年前に遡ります。

当時、ボクは車で日本一周の最中でありました。「高速は使わぬ!全部車中泊!」なんて縛りの中、全県制覇を目指して頑張っていたときのことです。

「北海道るるぶ」かなんかで見かけた記事で「牛トロ寿司を食べられるお店」なんて特集が目に留まり、これは行かねばなるまいと、車なので当然飲酒運転が出来ない中、遠くの道の駅に車を停め、歩いてこの店にたどり着いた覚えがあります。
そこでいただいたお寿司は、今まで食べた事の無い様な美味しさ、しかも安く、さらには頼んでないメニューまで出してもらい、もちろんその値段は上乗せされておらず、本当に楽しい時間を過ごさせて頂いたのでした。


恥ずかしい事に、ボクはこの店の場所をまったく覚えておらず、「十勝だったか、でも道東のどこか」という感じにしか記憶に無かったのです。ああ、もう一度行きたい…とずっと思っていたお店。



そんな店が、

たまったま検索で出て来て、

しかも今滞在中の帯広にそれはあるという。


「行くしかないでしょ!」


ちょっとお財布に不安はありましたが、こんな出会いを逃してはならぬ!というわけでスマホのナビを便りに指定の場所へ向かいます。


帯広駅から歩く事5分弱。

少し大きめの道の角にある店に着きました。そうそう、こんなところだった。



勇気を出して中に入ります。

なんとなく見覚えのあるカウンターがボクを迎えます。



そう、当時訪れた時は昼間だったよな。背中から陽を受けた覚えがあるので、ここだ。絶対にここ。そして座った場所はここ…

なんて事を思っていると、怪訝な顔をしたマスターが「いらっしゃい」と(笑)。当たり前だよね。なんかキョロキョロしたヤツが入って来たんだもの。
で、すぐに言いました。


「12年振りです。12年前にここに来たんです。日本一周の最中に」


もちろんマスターはその事を覚えていませんでした。というより、ボクが当時「日本一周してます」と伝えてなかった可能性が大です。
でも「これこれこういうメニューを頂きました!秋味(北海道でいう鮭のこと)の握りも頂きました!チコリも!」と伝えると、

「ああ、そういうのを出していた時代もあったねえ」

との返答。というのも、ボクが訪れた当時はとても景気が良く、従業員を何人も雇っていたと言うこと。しかし段々と景気も悪くなっていき、今では家族経営でやっているということ。当時はなかったメニュー「牛トロ丼」を観光客用に用意したという事、などなどを聞く事が出来ました。うーん、こんなに美味しいメニューを用意しているのに、景気の波には勝てないとは…。飲食の難しさを実感しました。


そしてボクは当時頼んだメニューと同じものである、

「牛トロづくし」

を頼んだのであります。





これ、牛なんですよ。牛肉。生。

「握ると脂が溶けちゃうから」

という理由で、握る前に霜降りの肉を見せてもらえます。そんなことをしなくとも、口に入れた瞬間にとろけるので充分分かるのですが、そういったマスターの心遣いも素晴らしい。


充分に時間を掛け、牛トロづくしを堪能。その後マスターより「お腹まだ空いてるでしょ?」との言葉で、追加注文。秋味の時期は過ぎていたので、例の「牛の背脂握り」を出して頂きました。



解凍前のイカに見えますが、違いますよ。背脂です。口に入れた瞬間は冷たいですが、次の瞬間一気に甘みと旨味が口の中に広がるのです。


存分に堪能しました。そしてこのお店にまた来られた奇跡に感動しました。あれだけ来たいと思っていた店、でもそれがどこだったか忘れて、しかしそのお店がたまたま動き回れる日に滞在していた場所のすぐそばにあったなんて…


さて、気になるお値段なのですが、

・カウンター席
・マスターおすすめがドンと出る
・頼んだのは値段が書いてある一品のみ

との不利状況をふんだんにまといながらも、なんと¥2,000代前半です。背脂込みの握り4貫は完全なるサービス。どれだけ良心的なお店なんだろう…


人間、生きてれば色々ある。辛い事も悲しい事も、でも楽しい事も。ならば楽しい事がある方向だけを見て歩こうぜ!

Always Look on the Bright Side of Life.

ではまた。


十一月某日 document.10

「北の大地より帰還しました」



【↑果てしない大空 幕別町にて】

ただいま戻りました、コバ・ジュンです。

八泊九日の北海道遠征を終え、先程無事に自宅に帰り着きました。

ボクはこれまでに三度この大地を訪れています。

一度目はプライベート(2002年の日本一周時)、
二度目はお仕事(三菱デリカVPロケ)、

そして今回で三度目。舞台関連のお仕事。


ものすごいキツいスケジュールでしたが、なんとか終える事が出来ました。

毎日、現場→移動→ホテル→現場の繰り返し。

でも、札幌の夜を堪能したり、帯広では奇跡的な出会いがあったり。


やっぱり北海道は良いわ凄いわ。


ボクの舞台関係のお知り合いには、北海道出身の俳優さん女優さんも多く、共通点としては男女共に色白(笑)。まぁそんなことはどうでもよいのです。

ボクの師匠であるキートン山田も北海道出身。カラオケに行くと必ず歌ってくれる歌があります。原曲キーはかなり高いのに、そのままで歌われ、それが素晴らしい。もちろん今回はiPhoneに入れたそれをリピートしまくりました。


「移住したい!」

とか安易に言っちゃいけないと思うけど、それだけの魅力がこの大地にはあります。十勝平野や釧路湿原を見た日にゃあ、人生観変わっちゃうものな。


ではまた。しばらくこれ関連の日記が続くと思いますがご容赦!


松山千春
『大空と大地の中で』


十一月某日 document.9

「行ってきます北海道」



【↑北の大地三たび】

おはようございます。

本日より北海道です。帰りは来週末。

日記は更新出来ませんので、コバ・ジュンの行動は各SNSなどでつぶやいていきまーす。


ではいってきます!


十一月某日 document.8

「これって死亡フラグ??…じゃないよね」



【↑昨夜の飯】

どもども、コバ・ジュンです。

始めに、タイトルの説明をしておきますね。


☆「死亡フラグ」とは…

映像や舞台作品等で、主に脇役が死を遂げる前に、ストーリー上で死を連想させるセリフを言ったり行動を起こす事をいいます。この表現をした役は、話の中でほぼ死んでしまうため、この言い方がされます。「死亡フラグが立った!」なんて使われ方をします。
例:「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」


では日記。

今日は朝イチから精力的に動いています。病院行って髪切りに行って、明日からの北海道遠征の為の用意をして…。ふぅ、忙しい。今日が一日オフで良かった。

昨日は昨日で、たまっていた家電製品ゴミを捨てました。

大型ブラウン管テレビ、ビデオデッキ二台、プリンタ、ラジカセなどなど。
他にも自転車を捨てたかったのですが、これは後回しにしました。少しでも断捨離できたのが嬉しい。

リビングが汚れていたので掃除機をかけました。アタッチメントのブラシを使い、細かい所まで隅々。

そして本日は、一階と二階のトイレを綺麗にしました。普段手の届かない様なところまで。うーん気持ち良い。

で、一週間ほど留守にするため、近所にご挨拶。これは、回覧板等を飛ばしてくださいとの意です。

さらに、期日までに払えてなかったお金を、先程無事に振込を済ませてきました。

ふう。


あれ?なんかこれ死亡フラグ立ってません?(笑)


身の回りのもの整理して、見た目を小綺麗にして、ご近所に挨拶して、さらに身辺整理…

大丈夫だよな、俺大丈夫だよな。

北海道、大荒れで大雪なんですって。

大丈夫だよな、俺大丈夫だよな。


ではまた!この日記でお会い出来る事を!


追伸:今日のご飯。もやしそぼろ。美味し。



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ontology.244(シモツキ一週目)


十一月某日 document.7

「放送延長!」



【↑家を探すボク、ふたたび】

きたのぉぉぉぉ、きいぃ〜〜〜〜〜!

どうも、コバ・ジュンです。
日テレ朝の情報番組『ZIP!』の北乃きいさんを愛でることからボクの朝は始まります。可愛いなあ。


さて、

昨年出演させていただいた『三井住友信託銀行』さまのCM。

お陰様を持ちまして、なんと一年の放送延長となりました。とても嬉しい限りです。
これまで「見たよ!」などのご報告ありがとうございます。
この先も「見たよ!」と連絡を頂けたら、その度にコバ・ジュン出っ腹を震わせて小躍りしますので、どうぞその姿を想像して爆笑してくださいげへげへ。

CM動画はコチラ、「三井住友信託銀行」さまの公式サイトから。
http://www.smtb.jp/special/
CMギャラリーの中の「引き出し編」からご覧下さい。

よし、これからも頑張っていくよ!応援よろしくお願いいたします。


ではまた(^o^)/


十一月某日 document.6

「連日早起き!」



【↑今夜は野菜たっぷりのもつ鍋にしたよー(^o^)】

キングヘイロー!

コバ・ジュンです。

先週、今週、そして来週と、かなりのハードスケジュールが続く、厄年な男です。

先週はまぁ何とか乗り切れたので良いとして置いといて、

今週は、撮影やら病院やらその他なんやらでまったく自分の時間が見当たらない状態です。

そして来週、というより今週末より北海道、八泊九日の旅。


なんとか頑張らねばね。




さて、昨日の話をします。


CM撮影でございました。都内某所のスタジオに7:30入り。
ボク一人だけ他の男性陣とは変わった衣裳を着させられて、「お!これは!」と思うも、まぁ色々ありまして…

とりあえずON AIR決まりましたらこの日記等でお報せします。あまり期待せずにお待ちください(苦笑)。

で、キャストを入れた撮影が終わったのが20時。都内はどうやら天気が良かった様ですが、ずーっとスタジオ内にいたので外の風景がまったく分かりませんでした。

撮影終了後、たまたま帰るのが一緒になった共演者と飲みに行ってしまい、

「あたしは一夜でワイン一本空ける!」

「なんの!俺はブラックニッカを一本空ける!」

という飲んべえが揃ったにも関わらず、なんとか¥5,000以内で済み、胸を撫で下ろしながら下りの電車に乗りました。家に着いたのは22時過ぎ。


で、本日は4:30起きの5:10出。撮影などではなくちょっと寂しいのですが、8時間強の世を忍ぶ仮の仕事をこなしてきました。


こんな週です。明日は夜から朝まで。ちょっとだけ寝て次の日は夕方から夜半まで。さらに次の日は早起きして病院行って尻に注射して診察受けて薬もらって髪切りに行ってオーディション行って翌日からの北海道遠征の準備をして…。

とにかく頑張るしかない。

ひとつひとつやってくしかねえよなあ!才能ねえんだから!


ではまた(^_^)ノ


十一月某日 document.5

「ロストテクノロジー」



【↑こんなのはもう作れない】

おはようございます。新しい週の始まり、素敵な日曜日ですねげひげひ。

なのにボクは朝から大雨にやられ、ずぶ濡れで帰って来ました。ひどい…( TДT)

先週は3-1-3のフォーメーションで、あ、世を忍ぶ仮の仕事の話ですが、フォーメーションというよりローテーションでありまして、正直キツかったです。寄る年並には勝てませんマジで。ちょうど先週、仕事行く直前に痛めている腰をさらにずらしたしなあ…。良くあの状態で行きましたよマジで。休んでもおかしくない痛さ。


さて、タイトル。


皆様は「ロストテクノロジー」という言葉を御存知ですか?

簡単に言えば、「失われた技術」。

昔は作れたのに、現代ではその作成方法が記録されていないため、或いは材料等が取れなくなった等の理由により、作れないモノのことです。

有名なところで言えば、「日本刀」があります。慶長年間以降と、それより技術が劣っていた以前の方が、優れた作品が多いとされています。

あとはバイオリンの名器として有名なストラディバリウス。これも、職人であるアントニオ・ストラディバリが亡くなった後は、この音が再現出来ないとされています。

不思議ですよね。技術は今の方が絶対発達しているはずなのに、昔のものが作れないなんて…。

ボクの身近なところで言えば、ギターがあります。アコースティックギターのギブソン70年代あたりは、今でも破格で取引されます。まぁ木材ですので、その年代に良い木が伐採出来たという理由でもあるのですが、広義の意味でロストテクノロジーですよね。


で、本題。ボクはインターネットを始めてから、ずっと日記をつけています。遡れば2000年くらいからです。様々な内容をupしてきましたが、ここ数年は主に「料理」の写真を上げています。twitterやFacebookなどでもupしているので、皆様ご存知のことかと思います。


でですね。


数年前に作った料理のですね、レシピをですね、


まるっきり覚えてないのですよ(笑)


「え!?俺、こんな凝った料理作ってたの!?」


なんて思う事もしばしば。何がアレかって、そんな料理作った事すら覚えてないんですよね〜(爆)

皆様もそんな事ありませんか?

「前は出来たのに、なぜか今は出来ない」

もちろん体力的なことではなく、「忘れてしまった」の意味で。

そんなロストテクノロジー。ぜひ思い出してみてくださいませ。


ではまた。


十一月某日 document.4

「セーラームーン!」



【↑ミラクルムーン】

好きに触ったらおしおきされたわよ!

コバ・ジュンです。

一昨夜、夜空は大きく綺麗な月で彩られましたね。


ミラクルムーン、というそうです。

なんだか171年に一度とか。

ボクはよく知らずに、スーパームーンとかのたまってtwitterとかでつぶやいてしまいましたイヤン恥ずかしい。

さらに、日記のタイトルをスーパームーンと打とうしたら、なぜかなぜだか

セーラームーン

と打ってしまい、まぁ面白いので直さずにこれでいいや、という経緯を経て現在に至ります。



さて、近頃この「セーラームーン」が、またちょっとしたブームを迎えてるそうですね。リバイバルされていると言う理由もあるのですが、ニュースなどで聞いたところに寄れば、

「セーラームーンを見て育った世代が、今お金を使える大人になって、新グッズ等を買っている」

らしいです。これ、売る側も世代だったんでしょうねきっと。あの頃子供で買えなかった自分の欲しいものを企画してみたら、それが通って、さらに売れてしまったという感じなんだと思います。

いやいや知りませんよ本当のところは(笑)。もっと緻密なマーケティング戦略が練られていたのかもしれませんし、或いはたまったまだったかもしれません。まぁどちらでも良いのです。楽しいじゃないですかそういうの。


20年ほど前でしょうか。任天堂のスーパーファミコンが全盛だった時代、なぜか我が家にも「美少女戦士セーラームーン」のゲームソフトがあり、なぜこれがあるのかまったく記憶に無いのですが、結構やりこんだ覚えがあります。

ゲーム内容は、五人のセーラー戦士から任意でキャラクターを選択し、ファイナルファイト風味、というか完全なパクリで、敵を倒しながらステージを進めて行く、というアクションものでした。

で、選べるキャラで青の子(マーキュリーのはず)がいるのですが、これがとてつもなく


エロいの(笑)


敵から攻撃を受けると「ああん!」とか言うのです。

当時私は20歳くらいでしたが、

「これ、子供向けのゲームのはずだよなあ?こんなのいいのか?」

と思いましたが、後に「大きなお友達」も楽しんでいると聞いて、

「これでいいのだ!」

という結論に達しました。


そんなスーパームーンならず、セーラームーンのお話。


ではまた。


十一月某日 document.3

「小林家、お家断絶!?」



【↑本文とはまったく関係のない台湾風鍋】

ラストエンペラー!

コバ・ジュンです。

皆様ご覧になりましたか?宣統帝溥儀。

♪ちゃんかちゃんかちゃーん…
ちゃんかちゃんかちゃんか
ちゃかちゃかちゃーん

はんはははーん!


はい、そんなことはどうでも良いのです。

先日、「世を忍ぶ仮の仕事」場で、仲良くしてもらってるHくんが、こんなことを言ってました。


「あはは。H家は、ボクの代で終わりですから」


その時は「ふーん」と聞き流しましたが、あ、その前に、Hくん、「絶対に本名は出さないでくれ!珍しい苗字だからさ!」と言われたので、仮の名前を使うことにしますね。

では、

ヒョギフくん

でいきましょう。で、そのヒョギフくん曰く、

「ヒョギフ家はボクの代で終わりです」

というのです。

つまり結婚も出来ないし、子孫を残すなんてもってのほか!というわけです。ヒョギフくん、前述の通り結構珍しい苗字でして、こんな血を残せないなんてダメだろ!と思う訳なのですが、私の小林家も正直私の代で終わりっぽいので、なんとも言えないのです。

なんとなくなのですが、直近の世代はどうでも良いのです。じいさん、ひいじいさんとかの血が途絶えても、それは仕方ない、と思います。


でもでもでもでも、


よくよく考えてみれば、突如どこかで生命が誕生したってことではなく、カンブリア紀とかそんな時から、この血は受け継がれてるんですよね。三葉虫→イクチオステガ→ティラノザウルス→コバ・ジュンってなもんですよ!その血は古代からずっと受け継がれているわけですよ!


これだけ歴史のある血の繋がりを、ボクの代で途絶えさせてしまっていいのだろうか…


うん、しょうがない!途絶えてしまうのはそういう運命!小林家はそこまでの存在だったんだよ!なんだってー!?


ではまた。


後悔?

してます(笑)


ではまた。


十一月某日 document.2

「自転車に初めて乗れたあの日」



【↑ロッドブレーキというそうです】

ハイサー、コバ・ジュンです。

相も変わらず、まともに生活をしている方々とは逆行する時間を生きています。

皆様が帰って来る時間に出かけ、出勤する時間に帰って来ます。

そんなある日、まぁ先程の話なんですが、駅から自宅への帰り道、こんな事を感じました。

「自転車で通勤通学する人がホント多いんだなぁ」なんて。


老若男女、それぞれ違った自転車を颯爽と走らせています。ロード、クロス、MTB、ママチャリ、電動etc…

格好も様々。スーツ、作業着、制服、カジュアル…

一分一秒でも時間を惜しむのか、その走っている姿は必死で、ある意味カッコよかったです。

そして「自転車に乗れる」ということは、みんな練習して乗れる様になった、という事実があるんですよね。


ボクももちろん練習して乗れる様になりました。周りに比べると非常に遅かったのですが、小学校二年生の時に補助無しスキルを手にしたのを覚えています。

そしてなんと日にちまで覚えていまして、昭和55年8月22日なのです。
というのも、高校野球神奈川県代表の横浜高校が、夏の甲子園で優勝したその日だったのです。優勝に導いたのは、名投手である「愛甲猛(あいこうたけし。ロッテ→中日)」さん。早稲田実業の荒木大輔さんに投げ勝って優勝したのは本当に嬉しかったなあ。

その時乗っていたチャリなのですが、オヤジがどこかからもらってきたぼっろいぼっろいモノでして、塗装はハゲハゲ、ギアなんて当然ついてない、さらにブレーキがワイヤーではなく、なんか金属がそのままブレーキに繋がっていると言う、「ロッドブレーキ」というそうなんですが(写真参照)、こんなの今の若い子は知らんだろうなあ。でもそいつで何度も何度も転んで、結果乗れる様になって、愛着を持って乗っていました。

ああ、当時のビュアな気持を取り戻したいなあ…


懸命に自転車を漕ぐ通勤通学の人達を観て、ふとそんなことを思った朝でした。

ま、今は腰痛がひどくてまったく乗れてないんですけどね!(T_T)


ではまた。


十一月某日 document.1

「シモツキなあの人」



【↑11月の顔、トウキョウダルマガエルさん】

ハローウィン!コバ・ジュンです。

このたび挨拶として冒頭の言葉を考えつきました。こんにちは!そして勝ち組に!がこれからの合い言葉!


なーんて景気良く始まりましたが、現在極度の腰痛の為、座っているのもままならない状態。せっかく11月が始まったというのになんだともう11月だと。

今年ももうあと二ヶ月ぽっち。ぽっち。もうひとりぽっちにしないで、と言ったのは、「電影少女」のもえみちゃんだったでしょうか。

あいてて、本当に腰が痛い。昨日、お風呂上がりに足のすねを拭こうとしたら「ずりっ」と明らかに腰椎がすべる感じがして同時に激痛が走りでも世を忍ぶ仮の仕事行ったよ偉いねボク偉いね。



とりあえず近況。

ヒラタケってのを初めて食べました。



炒めても煮ても良い感じでした。


iPhoneの充電ケーブルを、ボールペンのバネで補強しました。



これはネットで観たもので、即実行してみました。使っている人は分かると思いますが、こいつ、すぐ断線しちゃうんですよね。


そんなところです。あ、いけね、タイトル。

なんか巷では「上付き」「下付き」なんてのがあるらしいですね。それぞれ、ウワツキ、シモツキと読みます。何がその「付き」かというと、さあなんでしょうねウフフ。

とりあえず始終うわついていたいボクなのでした。もう四十ですしね。あらいやん、椿三十郎みたいだわ。


ではまた。



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