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documentary 2017.10.(最上部ガ最新。下カラ順ニドウゾ)

ontology.322(カンナヅキ二週目)


十月某日 document.10

「こんな仕打ちが…」



【↑誰って、ねえ…】

コバ・ジュンです

本日で10月も終わりですね。早いものです。今月は日記をようやっと10本、それしかup出来ませんでした。申し訳ありません。それだけ忙しいと察してくださいますと幸いです。

さて、昨年より「生活改善計画」を始め、早や一年が経ちました。
月日の過ぎるのは本当に早い。年を取ってそれを尚更実感しています。

で、その「生活改善計画」により、なんとなーくお財布が潤ってきたなーという矢先に、

「各種保険料」が大幅にupしやがりました。

そりゃね、「生活改善計画」というのはね、お金を稼ぐためのものでありまして、それによって潤ってきた部分もあるわけなのですが、

今回、

その稼ぎ分を大幅に上回るほどの天引きが来やがりまして。

うおお、これじゃあ「生活改善計画」(しつこい)、まったく意味ないじゃん!料率間違ってんじゃないの!?じゃあいくら稼げばこれだけ天引きされても生活に余裕が出るの!?

一生懸命働いて、「やっと月々5万円の余裕が出来た〜♪ さぁ〜て、色々家周りの壊れているところ治すぞ〜自分にもお金かけなきゃね〜」なんて思ってた矢先、7万円持ってかれました、とでも言いましょうか(金額はフェイクですが、ほぼこのくらいと思っていただけましたら)

「誰が政治しとるのか!!」とは「墓場鬼太郎」のねずみ男のセリフですが、本当こんな料率ではやっていけないです。今の20代とかどうしてるんだろう。絶対結婚できないだろう、こんなに引かれちゃ。さらにはローン組んでも家が買えるかどうかですし、車もキツい、そこに子供を産んで…。

なんかやはりおかしいぞこの国。

「これからの未来よりも、今まで頑張ってきたあなたたちへ!」

が分からないでもないんだけど、やっぱり違うよなあ。早朝のスーパーで僕の前に並ぶじーさんばーさんが高っい牛肉やらを買うのに、現役世代のボクらがグラム¥68の鶏胸肉を買って満足しているのは何かおかしいなあと思った今日この頃でした。


ではまた。


十月某日 document.9

「作品に呼ばれた」



【↑母から生まれた】

コバ・ジュンです。

先日、ふと本棚にあった本が気になり手に取りました。これ買ったのいつだろうな。もう5年、いやもっとだ、10年近く経っているかもしれない。読んでみるか。

何の気なしに読み始めました。ふんふん、そうそう、こんな感じね覚えてる覚えてる。
…ってあれ、こんな展開だったっけ。え、ちょっと待て、どこへ向かってるんだコレ?うおお、こうなるのか、えっ!まさかまさか!

そして号泣。

その作品とは、業田良家著、『自虐の詩(じぎゃくのうた)』。実はこれを初見の時、同じくその当時感じた思いを日記に書いた覚えがあります。やはり「感動した!」てな具合に。

しかし、今回はまたその時とは違った印象が強く心に植えつけられたのです。


「これは、今、まさに今、読んでおかなければいけない作品だった」


と。

言うなれば、


「作品が俺を呼んだ」と。


ここ二週間ほど、心情的に落ち着かない日々を送っており、そんな思いを払拭させるには「酒しかねえ」などと、缶ビールやウイスキーをこれでもかと煽っていたのですが、その答えが昔買った文庫本、しかも漫画(それも四コマ)にあるだなんて思ってもみなかった。

内容を説明しますと、甲斐性なしで何か気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をひっくり返す「イサオ」と、気が小さいけれども働き者の「幸江(ゆきえ)」の夫婦(内縁)貧乏話。



当初はギャグ漫画で行く予定だったのであろう、何か不満があるとすぐに「でぇい!」とちゃぶ台をひっくり返すイサオの短気さを笑う内容であったのですが、話が進むにつれ、幸江の過去、やはり貧乏だった小・中学性時代の話が始まり、



さらには中学生時代の友人、熊本さんの登場により、



「あれ、これ何かが変わってきている…」と読者に思わせるとともに、そのストーリー展開から離れられなくなり、いつの間にやら「こんな話じゃなかったはず、でも、でも…」と思わせながらのド感動ラストに漂着します。







「作品が呼んだ」と何度も言いますが、今ここに辿り着かなかったら、辿り着けなかったら、なんだか変な方向にいってしまっていたかもしれません。そういった意味で完全に呼ばれたのです。「おい、俺を手に取れよ。今のお前の気持ち、それがすべてここに書かれていることで氷解するぞ」と。

一周回って、さらに90°進んだ感じです。


そんな作品のラストはこんなセリフで締めくくられます。


『幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある』


皆様もぜひ機会があればご一読のほどを。


ではまた。


十月某日 document.8

「自己防衛、そして矛盾」



【↑かますの塩焼き(4尾で¥200)】

コバ・ジュンです。

大型台風が日本列島直撃の恐れですね。
はじめに言っておきますが。


ボクのせいじゃねえですから。


まぁそれは置いといて、かなり大きな勢力を保ったまま近付くと予想されてますので、無用な外出は避けるなどして、自己防衛対策を取りましょう。分からないでもないのですが、「田んぼの様子を見てくる」や「用水路の様子を」「船の様子を」「屋根の様子を」などはかなりな危険を伴います。農業や漁業に携わる皆様にとって、それらは生活に直結する案件ですので大事なのは分かります(例えて言うなら、ごく一般の会社員にしたら「明日の出張の荷物を確認しておこう」くらいの感覚なのでは)。でも、でも、大きな自然災害が起こるたびに、ほぼ毎回と言ってよいほど、こういったニュースを目にしてしまう…。

もちろん仕事を守らねば、自分を守ることにもならないのかもしれません。「一年間かけて育てた農作物が全滅」「これがなきゃ仕事にならない船が沈没」、気になるのは分かります。気にして当然。

でも、

「自分を守る」≒「仕事を守る」

よりかは、

「自分を守る」>「仕事を守る」

を優先していく方向へ向かって欲しいものです。

机上の論理でしかありませんが、結果そうなった場合に悲しむのは己ではなく残された人々。突発的な事故で亡くなるほど、残された人間の悲しみは深い。「気をつけて」とこんな遠くからしか言うことが出来ませんが、そう願うばかり。


さて、そんなボクは今から衆議院選挙の投票に行ってきます(’17.10/22、6:36現在)。投票所には歩いて10分、チャリなら3分。そりゃチャリで行きますよねえ。あら、また随分と雨風が強くなってきましたな。一応家中の雨戸を閉め、物干し竿を下ろし、植木を避難させ、と対策はしたので、あとは自分を守るだけです。といって、別に自分はどうなっても良いという「死生観」を常日頃から持っていまして。なので己に関してはあまり気にしてないのです。


では行ってきます。


また。



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ontology.321(カンナヅキ一週目)


十月某日 document.7

「オリオン座の空」



【↑たっぷりおでん(結局一晩で食べた】

コバ・ジュンです。

毎日雨続きですね。「秋の長雨」とはよく言ったものです。でも台風がくるまでとは予想もしておりませんでした。

秋という季節が好きです。この時期になるといつもコレ書きます。体感的には「半袖短パンで体育の授業出るのが寒くなってきた時」、視覚的には「ふと見上げた夜空にオリオン座が見える時」。

夜空を見上げるのが好きな僕にとって、オリオン座は少し曇っていても認識できる星座として、子供の頃から親しみの深いものなのです。


でも、この時期、ボクにとってもうひとつ「あること」がやってくる時期でもありまして。

それはここでは書きません。大丈夫、税金の督促とかではないですから。生理でもないですから。NHKの集金でもなく、抜け毛の活発になる時期でもありませんからうるせーなーもう。


果たして、なぜか「それ」はこの時期に集中するんですよね、昔から。何でか分かりませんが。バイオリズムとかそういう難しい外来語の関係なのでしょうか。昔懐かし、ファミコンゲームの「燃えろ!プロ野球2」では、このバイオリズム機能が採用され、どんなに強打者でもこれが低調だと打てないなんてのがありましたね。いらねえだろそんなの(笑)


天気予報では今日も雨、明日も雨。うーん、明日期日前投票行こうと思ってたんだけどなあ。雨だったらしょうがない、当日の締め切りギリギリに行くしかないか。そのあとは外食するんだ。「てんや」か「かつや」で。


好きな人が、優しかった、ピース。

そんなこんなです。

ではまた。


十月某日 document.6

「まさかこんな感情が」



【↑雨のキンモクセイ】

コバ・ジュンです。

昨夜、ちょっとしたことがありまして、いやまぁちょっとしたことというより、漫画の「ONE PIECE」的に言えば、



とこんな具合に衝撃を受けまして、




まぁもっと正確に言えば、



な訳ですが。



少しばかり自律神経が乱れて心臓バクバク、汗ダラッダラ、さらにはいつものルーティンワークさえこなせない状況まで陥ったのです。あれ、カゴを持たないで買い物?これって良いんだっけ?いやいや、大丈夫、大丈夫、でもあれ?なんでこんな両手にたくさんの品物抱えてる?そうか、これはカゴを持たなかったからか。で、そのカゴはどこにある?あ、もうレジ前だ。置いてしまえ。「Tポイントカードはお持ちですか?」「ないです」いやいや持ってるから、ほらタヌキのカード。「えっとこちらは…」ああそう、間違えたこっちか。「えっとこちらは…」


一体俺の身に何が起こったんだ…。



その中でも、一番何が衝撃だったかと言いますと、

「自分の中にまだそういった感情が残っていたこと」

四十半ばですぜ?弦楽四重奏ですぜ?(いけね、今音楽のこと考えちゃいけない)そんな想いは三十路終焉と共に、深淵の彼方に放り込んできたはずなのに送り込んできたはずなのにもうそんな感情は持ち合わせることはないと思っていたのに。



面白いものですね、人間って。煩悩を捨てきれない。まだまだ未熟。



最後にひとつだけ、

幸せを心より願っております(^o^) 当たり前だ。



ではまた。


十月某日 document.5

「憑き物が落ちたかの様な」



【↑秋といえば】

コバ・ジュンです。

一気に寒くなってきましたね。スウェット上下でチャリに乗りコンビニに行ったら、歯の根も合わぬほどガチガチに震えてしまいました。


さて、ここ最近の話ですが、「それはまるで憑き物が落ちたかの様な」感じで、日々「躁状態」を維持出来ております。

『思考をとにかく前向きに、嫌なことが起こってもそれを見ない若しくは見てもさらっと受け流す、自分の中に溜めない、老い先短いのだからつまらないことでつまづいても仕方ない』

なんて過ごしていた結果、今のこの良き状態。

「生きるの楽しい〜!」とかそういった宗教くせえ事や開発セミナーみたいな事はいいませんが、今年半ばあたりから、「あれ、日々楽しい。今までの鬱々としたアレはなんだったんだ」と思える時が多々ありまして、

要因の一つとして「考えを変えたこと」が挙げられます。

それまでは「責任感」を感じていたあることに対し、それをぶん投げてしまったら一気に解放され、逆にぶん投げたことにより、違った視点、言うなら俯瞰的な場所からそれを見ることが出来る様になり、一気に楽になってきました。
「めんどくせえことには関わらない」
「自分の人生に必要のない人に深く関わらない」
これらを強く思う様になったら、一気に目の前が開けました。

自分が喧嘩する相手は、「あるものを良くしようとお互いに言い合える同志のみ」で良いと。その他のことで神経を使いたくないしすり減らしたくないし、というか勿体無い(笑)俺の人生は俺の人生。


要因の二つ目は、「腸内環境改善」かな、と。

元々ボクは異常なほどの超弱さん。「つまらない」日はない程の、下り超特急な日々を幼少時から送っており、なんとかそれを改善しようと日々努力をするも(腸内細菌を育てるも)、一度の痛飲で大体流れちゃうんですよね。でもそこを自分なりに改善。そりゃ痛飲はするけれども、そこをさらに上回る様なヨーグルトやら納豆やら漬物やらビオフェルミンやらの絨毯爆撃で、とにかく腸内を健康にしようと。結果、そりゃすぐには治りませんけど、多少の効果は出てきた感じでして、それが今の「躁」にも繋がってるのかなと。そりゃ年柄年中「下り」で、「あの駅にはあそこにトイレがある。つまりこの駅では6号車に乗れば一番近い」とか考えてましたから、それがなくなったというだけでも明るい気分になれるというものです。

で、そんなこんなで日々を過ごしていた際、先日の事務所の宣材写真撮影後に、SNSにupした写真がえらく好評でして。



これ↑

やはり、何かの「憑き物が落ちた」のかなあ。人に幸せを与えられる表情にようやく戻ってきたかなあ。そんな感じで良い気分で過ごせております。


ではまた。


十月某日 document.4

「虎の威を借る!?」



【↑代表作】

コバ・ジュンです。

先日、所属する事務所の来年度の宣材写真撮影に出かけてきました。以前日記に書きました例の「凄腕美容師」さんに預けた頭が、まさにこの時期ちょうど良い具合になりまして、「いざ来年の!(仕事を頂きたいべく!)」となったわけです。

いやあ、本当に驚くのはさすがプロ。「10月の半ばに撮影があるので、それに見合った感じで」とお願いしていたのですが、見事撮影日には「お父さん」にも見えるし「職人」でも行けるようなオールマイティーな髪型に。本当に頼んで良かった。O君、マジでありがとう。素晴らしいですよ、あなたの技術は。

そんなわけで無事に撮影を終え、

帰りの京急、快速特急三崎口行きではゆったりシートでビールなんて飲んじゃったりして、



↑この笑顔、割と好評でしたので、キリンビール様、CM案件ぜひくださいませ(笑)



さて本題。

最近「料理関連」のツイートやら日記やらをupしているのですが、その中で「今まで知らなかったこんな料理の知恵!」みたいなのがありまして、

それに対して「めっちゃすごい!」やら「これは大感謝!」とお褒めの言葉をいただいております。といって、それは僕が発案したものではまったくなく、単純に雑誌の情報やネットのあれやこれやから拾ってきたものでして、

なんだかすいません。

「虎の威を借る狐」とはこういうことを言うのでしょうか。いや、なんか違うな。もっと適切な言葉があったような気がする。自分が発した言葉ではない、他から借りてきたことで、他人からの尊敬を受けてしまうという…

まぁいいや。それが如何に自分の考えたものでないにしろ、役に立ってくれたら万々歳じゃないのさ。「それを伝えた」ということを大事にしましょう。

…ん?ということは、そんな大事なことを伝えているということは、ボクはさながら「伝道師」!? 一子相伝の(#ではない)技術を伝えているのでは!?

何事も良きにはからえ。つまりポジティブシンキング。いいのいいのこれで。皆様ありがとうの気持ちをこめて。



ではまた。


十月某日 document.3

「ピーマンの種って喰えるの!?」



【↑やってはみた】

コバ・ジュンです。

現在「寝ずの27時間」が経過しております。なぜこんな事態が起きているか?それについてはいずれ書きます。


さてさて、

皆さまにちょっとお聞きしたいことがございまして、

いやいや、まぁそんなかしこまったことではござぁませんが、


ピーマンを料理する際の話です。

ピーマン?そう、あのピーマン。野菜の。4つ入りで¥98とかで売られてたりするあの緑の。


で、中にある「種」ってどうしてます?


ボクは生まれてこのかたずっと捨てていました。三角コーナーへと直行です。いや、強いて言うなら直滑降です。「ふなき〜」もびっくりするくらいの角度で。というのも、誰から聞いたかは忘れましたが、ボクがまだ髪の毛フサフサで肌もつやっつやしていて化粧水すらも弾いてしまっていた頃、


「ピーマンの種は残飯にすら混ぜちゃいけねえ。残飯は豚の餌にするんだ。ってぇことは、その豚が死んじまうからな」


と教えられたのです。


こんな話を聞かされれば、「なるほど、ピーマンの種は毒なんだな。メモメモ」となるではないですか。刷込み通りに育つじゃないですか。

しかしですね、ここ数年の話。

「ピーマン買ってきた!なーんか今まで食べたことのない調理法ないかな〜」

なんてノリで某クックパッドとか某クラシルとか某xvideoとか観たりするとですね、

「ザク切りにしたピーマンを炒めましょう。種があったら入れちゃいましょう」

てのが出てきたりするのですよ!ここでコバ・ジュン、超迷います。「あれ、毒じゃなかったの!?ピーマンの種って!?(倒置法)」

そんな疑問を抱きつつ、つい最近webをウロウロとしていたら、こんな文章が目に入ってきました。

『ピーマンの種を食べないのは勿体ないということ
むくみ防止のカリウムやピラジンという血行促進、血液サラサラ成分が多く含まれてるんだって』

なんだと!まさかの真実…。その後「ピーマンの種」で色々検索をしてみると、「捨てるのはもったいない」だの「血液さらさらに!」などの文言が多く見受けられまして。

ということは、今までボクは騙されていたのか?何のために?血液ドロドロにさせるために?或いはピーマンの対抗馬である野菜からの、それを育てている農家からの陰謀のために!?


なんにせよ、「ピーマンの種は食える」「健康増進効果がある」ということが半世紀弱生きてきてようやく分かったので、これからは無駄なく使おうと思います。ごめんよピーマンの種。許してくれピーマンの種。


ただな、

ただ、ちょっとだけな、



料理に入れるとジャリジャリするわ。


ではまた。


十月某日 document.2

「笑顔が大切」



【↑シン・セキコちゃんとの笑顔】

コバ・ジュンです。

時は10月、一気に寒くなってまいりましたね。いや、ボクの笑いが寒いとかじゃなくて気温が。
チャリ乗りの身としては、その寒さが一層堪えます。一枚余計に上着を着ないと割と近い「死」を意識出来るくらいです。大げさではなく。


さて、唐突ですが、「人間、笑顔が大事」です。そう思ったのです。そう思ってしまったのです。

よく聞きますよね。「笑いがガン細胞を消す!」やら「笑うことによって健康効果倍増!」みたいな。どこまでホントか分かりませんが、少なくとも日常で笑いを絶やさないことによって、

「表情筋が鍛えられ、いつまでも若く素敵な表情でいられる」

のはあるのかも。

というのも、最近「この人、生まれてから一回も笑ったことがないのではないか」と思わせる様な表情の人間ばかりを見ます。まぶたは汚れぶ厚く、頬はたれ下がり、口角はこれでもかというくらい下向きで。

一目見た瞬間、「今まで楽しいことなかったんかな?」と想像します(偏見ですが)。

その原因として、日常に於いて「笑顔」を作れる環境にいないのではないかと。
少しでも「笑い」のある環境にいれば、ここまでの「顔」にならないのになあ。

笑顔は本当に大事。人生、例えつまらなくとも、どこか片隅にでも楽しいことを見つけて、笑顔でいれば、すべてがうまく回るのではないかあと思う今日この頃。


楽しくなくとも、無理やり楽しいことをつくっちゃえ。「俺の人生つまんねえ」ではなく「俺の人生つまんないけど、面白くしてやろう。無理をしてでも」が正解なのではないかと思いますよ。

『つまんねえと思うのなら、自分で面白くする努力をしろ』
少なくともボクはいつでもそれを心掛けています。芸能の仕事全然取れないなあ。だったらそれをネタにしちゃえ。「普通に給与所得で生活してまーす!芸能の仕事全然ないのに領収書保管してまーす!」でええやんけ。如何に自分がダメかをネタに出来るかによって、どれだけ周りが違ってくるか、景色が違って見えるか、そして自分が置かれている現状を、どれほど深く把握出来て、それをまたネタとして昇華することが出来るか。

正直かなり傷ついてますよ。だってオーディション落ちるたびに「いらないんだ…。20年やってきた俺の芝居は必要とされてないのか」と思わせられるわけですから。

でもやっぱり笑顔でいれば、いられたら、きっと、きっと何か楽しいことが起こるはず。輝いてる人の顔は、いつでも素敵ですもの。だからさ、綾波レイだって笑ったんだからさ、笑えばいいと思うよ。


天使の笑顔。




羊。




ではまた。


十月某日 document.1

「パソコンの先生」



【↑姉宅からの景色】

コバ・ジュンです。

土曜の朝、「世を忍ぶ仮の仕事」を終えたボクは家に帰らず姉夫婦の家へ直行しました。なんでも「パソコンからネットが繋がらなくなった」とのこと。どうせパスワード入れたらすぐ治るだろうなんて気軽な気持ちで横浜某所の高台(住民以外はエレベーター使うのにSuicaで¥50かかる)へ出かけて行きました。

検証を開始します。Wi-Fi接続は生きています。iPhone8にiPhone7が3台もある中で検証したので大丈夫(笑)さらにパソコンの接続も生きています。聞けば「Yahooのトップは見られるけれども、そこから検索できない。他のサイトも見られない」とのこと。どれどれ…。あらら、ホントその通りだ。これは厄介かも。ひとつひとつ原因と思われるものを探っていきます。

cookie、ファイヤーウォール、セキュリティソフト、プロキシ等々、これが邪魔してるのかな?というのを外しながらやっていくも、どれも効果がない。さらにiPhoneから検索をして探ってもどれも効果がなく(時刻の設定をオフ、とかまでやりました)。

ひとつだけ光明が見えたのは、「繋がるサイトと繋がらないサイト」が存在すること。繋がるのは「http://」を頭に添えたサイト。繋がらないのは「https://」。
この辺りからコバ・ジュンの頭脳が回転し始め、さらに検索を深めていきます。「https 繋がらない windows10」てな具合に。

1時間半後、ようやく解決しました。DNSプロトコルのなんちゃらとかいうやつが「手動設定」になってしまっていたのを、「自動で設定」にしたらまぁなんと、すべてのサイトに接続が可能になりました。どうしてそうなったのかもわからないし、これで解決するんだ?というのもよく分からない。何はともあれ、無事にネット接続が可能となったのです。思わず立ち上がりガッツポーズです。ああ、本当にWindowsって面倒臭い。世の中すべてがMacになればいいのに。あれもリンゴ、これもリンゴ、みんなリンゴ、椎名林檎。



その後、iPhoneのバックアップやら写真の簡単な取り込み方やら外付けHDDへの保存方法やらを説明し、家に戻れたのは昼前。「ゴミ捨て無理だな…」と思っていたも、まだ収集車は来ていなかったので速攻で家中のゴミを集め捨てに行きました。よかったよかった。


Windows、xpくらいまではまだ良かったのですが、7になりそして現在の10になり、本当に使いにくく、さらに分かりづらくなりましたね。毎日触っていればそんなことないのでしょうけど、ボクの様な「たまにしか触らないユーザー」、略して「たまさわ」にしてみたら、OSの使い辛さに心から憤慨するわけです。そこいくとMacは(以下延々Apple大好き話が続いてしまったので割愛しました)。

そんなわけで今日から10月。早っ!早過ぎます!リビングに貼ってあるチャランポカレンダーもあと三ヶ月で終わりなんて…。人生ってのはなんなんだろうなあ。命と何を引き換えにして歩んでいくんだろう。まぁそれを探すための7~80年なんだろうね。結局見つからないとしても、またどこかで生まれ、育ち、老いていき死んでいくのでしょう。出来れば早く「あがり」に到達したいわけですが。最近『火の鳥』読み返していたので、影響されまくりのコバ・ジュンがお届けしました。


たまには料理の写真でも。

宮城産天然ぶり


オリーブオイルで揚げた鶏唐揚げ



ではまた。



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