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日々の日記、エッセイ、コラムなどの集合体
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documentary 2017.03.(最上部ガ最新。下カラ順ニドウゾ)

ontology.308(ヤヨイ二週目)


三月某日 document.11

「さよなら年度末」



【↑たまにはうどんも作ります】

コバ・ジュンです。

本日で3月も終わり。早いもので今年も1/4が過ぎ去ってしまいました。行く、逃げる、去るの言葉通り、この3ヶ月の早いこと早いこと。…なんだか毎年コレを書いてる気もしますが、まぁ良いでしょう。それだけ変わらぬ日常。平和なのです。それで良いじゃないか。

忙しさにかまけて今月は全然日記が書けなかったのですが、個人的には色々ありました。
まず、車を買い替えました(ウソ)
そして引っ越しました(ウソ)
あ、ついでに結婚もしました(ウソ)
貴族になりました(本当)

まぁ相変わらず料理したりしてる毎日です。それくらいしか日々の疲れを忘れる方法がないものでして。youtubeでサンドウィッチマンさんのコントやチャランポの音楽聞きながら、好きなことを出来るってのも幸せのひとつなのだと思います。これで充分だ。







てなわけがなく(苦笑)、私の依存症のひとつである「買い物」欲がふつふつと湧いてきやがりました。ああ服買いたい、靴買いたい、小綺麗なオッサンになりたい〜!

というわけで、またもカードローン地獄にハマりそうなこれからの春先なのでありました。


ではまた。


三月某日 document.10

「研ぎ師の血?」



【↑高評価を頂けています】

コバ・ジュンです。

今朝方、外に出た際に目にしたものは、空からザカザンと降りしきる白く大きな物体でありました。そう、雪。うふん、先日「帰宅後のルーティンワークから暖房のスイッチが外れた」なんてつぶやいたばかりなのに、なんですかこのぶり返す急激な寒さは。もちろん暖房フル稼働ですよ。先月のガス代には驚きましたよ(お風呂の追い炊きし過ぎ)。

さて、以前にも書いたような記憶がありますが、どうせ皆様も忘れているでしょうし、何よりボクが忘れているので、もう一度書きましょう(笑)。


ボクの母方の祖父は、「研ぎ師」でありました。いや、あの、正確には知りません。若い頃は何の仕事で生計立てていたのかも存じ上げません。ただ、孫のボクから見ると、「研ぎ師」だったのです。

小学生中学生と坊主頭だったボク。それはすべて祖父に刈ってもらっていました。祖父宅の庭に椅子を出し、バリカンでガリガリと刈ってもらっていたのです。初期は手動だった気もしますが、途中から電動になりました。中一の時は「五厘」なんて短さ。そこらの芝生より全然短いです。

そんな「刈り」の合間、祖父はカミソリを研いだりしていました。「ソノカミソリハナニ?」とボクが問うと「これは下の床屋で使っているものなんだ。頼まれて全部じいちゃんが研いでいるんだぞ」と教えてくれました。他にも、足踏みミシンに似た機械で、あらゆる刃物を研いでいた光景を思い出します。「ソウカ、ボクノオジイチャンハ、ハモノヲトグヒトナノダ」。

月日は流れ、ボクは高校生になりました。16歳。そりゃ周りの目も気にしだす年頃。坊主頭じゃなんかカッコ悪い。髪伸ばしたい。そして整髪料とかつけてみたい。

ある日、ボクは祖父に頭を刈ってもらっている最中にこう切り出したのです。

「アノネ、ジイチャンニアタマヲカッテモラウノハ、コレデサイゴニシタイ」

勇気のいる言葉でした。数多い孫の中で最後まで祖父に刈ってもらっていたボク。そのボクがこれを申し出るということは、イコール「もう頭を刈ってやれる孫がいなくなる」ということなのです。最後の散髪を終えた後、庭に残された椅子を片付ける祖父の姿がなんと悲しかったことか。正直今でもそれを後悔していますが、当時はカッコ良い髪型にしたかったのです。許して欲しい、じいちゃん。

その後ほどなくして寝たきりになってしまった祖父。お見舞いに行った際「じいちゃん、病気になっちゃったよ」と、寝床から起きられない体のまま、それでも笑顔でボクにそういった祖父。ある意味「生きがい」を奪ってしまったのではないか?と、十代ながらも悲しみが押し寄せ、涙ぐんでしまったことをつい昨日のことのように思い出せます。

元気だった頃はよく怒られました。「謝りなさい!」と大声で言われたこともあります。確かあれはミクロマン(今思えばGIジョーだったかも)の人形をどういう経緯でか、祖父の足に強く落としてしまったことが原因。
他には、当時流行っていた特撮「大鉄人17」の超合金を見せびらかしに行ったら、「この機械で削ってやろうか?(笑)」と言われたのも思い出しました。なぜ「削る」に至ったのかは覚えていませんが、茶目っ気たっぷりな顔で言われたのが印象深いです。

戦時中はフィリピンで従軍していた祖父。爬虫類好きなボクに「フィリピンには大きなヤモリがいるんだよ。そしてそのヤモリは鳴くんだ。トッケイ、トッケイって。本当に大きいんだぞ」など教えてくれました。
そして、プロレス好きでもありました。その理由は「じいちゃんは腕力がなくて弱いから、強い人に憧れるんだ」とのこと。思えばボクのプロレス好きは、祖父から受け継いだものかもしれません。ボクも腕力にはまったく自信がなく、そういった面で「強き者」「神に選ばれし者」に憧れを抱いたのと同じ理由なのです。「鉄の爪」ファミリーの一人、デビット・フォン・エリックが日本で頓死した際にも「ジュンちゃん、デビッドが亡くなったよ。知ってるかい?」と電話してきてくれました。

そんな祖父とボクとの関係を思い出しながら、今丁寧に包丁を研いでいます。待てよ、この砥石はどこから持ってきたものなんだ?物心ついた時からウチにはあったし…。そうなると、多分ウチの父が祖父からもらってきたものではないのか?一時、ボクの父はカミソリを研いだりと、研ぎ師の真似事をしていました。しかしそれがどうにもこうにもヘタクソで、研ぐ用の皮研ぎにバツバツ切れ目が入ったりしてしまうという、器用なはずなのにまるでダメダメだったそれを見て、「いかに刃物を研ぐのが難しいのか」というのをこの目で見てきていたのです。そして台所に残されたこの砥石…。

じいちゃん、自己流ではあるけど、なんかこの孫は刃物を研ぐのが得意らしいぜ?だって色んな家にこの砥石を持って行って、包丁研いだりしているもの。でな、それが割と評価高いんだよ。「切れ過ぎて困る」と言われるくらいに。隔世遺伝がこういった形で伝わるとは思わないけど、少なくともじいちゃんが会得したその技術は、隔たりがあるにせよ、ちゃんと孫には伝わってるみたい。研ぎ師の免許でもあれば、正直それを受けてみたいし、今更ながらその道に進んでも良いと思っている。面白いもんだね人生って。色々つまづくし先が見えない状況ばかりだけど、「こういった道」もあると分からせてくれたじいちゃんに感謝です。


で、「研ぎ師」の資格はどこで取れば良いんだ?ユーキャン?(笑)


ではまた。


三月某日 document.9

「オウムのコント」



【↑なめたがれいの煮付け】

コバ・ジュンです。

すみません、少しばかり日記が滞っていました。というのも、忙し月間、いや、忙し毎日が続いているため、twitterでのつぶやきなどで限界な状況でありまして。

だって家での自由時間が1時間半しかないんだもの。

まぁそれは言い訳。やろうと思えば何とかなるものです。ましてや(以下略


さてタイトル。

皆様は「モンティパイソン」をご存知でしょうか。40年以上前になりますが、イギリスで結成されたコント集団であり番組名でもあり、いまだ彼らのファンが世界中に根強く残っております。イギリスの国営放送BBCで放送されたそれは、政治から時事ネタから放送禁止系から、とにかく何でもありのコントであり、「今日は放送時間が余りましたので、あとは波打ち際の動画でも見ていてください」なんてこともしたり。とにかく革新的な集団(番組)だったのです。

で、その彼らの中でも有名なのが「オウムのコント」。ある男が「先ほどお前のペットショップで買ったオウムが死んでいる。これはどういうことだ」とクレームをつけるのですが、ペットショップの店員は「いやいや、寝ているだけです」「気絶しているだけです」と、とにかく死んでいることを認めず、最終的に言いくるめてしまうという不条理極まりないもの。でもその会話劇が異常に面白くて。モンティパイソンのリーダー的存在であったグレアム・チャップマンが亡くなった際も、このコントの科白が弔辞に使われたほど。

先日観た、あまりに衝撃的な舞台「あのさ、生まれ変わったら」の二話目『女体とマグロの男』に「ゴディバちゃん」なる何でも喋っちゃうオウムが出てきたことにより、こんな日記を書いてみました。

「あーんあんあんあん」
「ゴムにハサミ入れたよ」
「奥さんよりあたしと子供作ろうよ」

ボクもオウム飼いたいです。


ではまた。


モンティパイソン「オウムのコント」


三月某日 document.8

「月は遠くでみるからきれいなんだよ・・・」



【↑名言】

コバ・ジュンです。

間もなく満月ですね。12日(日)にはぜひ夜空を見上げてみてください。大きな大きな月が、皆様の身体を存分に照らしてくれますよ。
そして14〜15日にかけては、先月と同じ様に月、木星、スピカと三つの天体が並びます。春はもう間近の寒空の天体ショーに、身を委ねてみるのも乙なものです。

さてタイトル。

「月は遠くでみるからきれいなんだよ・・・
わしなぞ なん度 アポロになったか数えきれん・・・」

これ、ある漫画に登場したセリフなのです。何の漫画かお分かりになりますでしょうか。パッと見、何か少女漫画チックなロマンチックテイストの漫画を思い浮かべることと思います。しかしこれなんと、先日40年にも渡る連載に最終回を迎えた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」に出てくるものなのです。両津ですよ両津。こち亀ですよ、あのこち亀。

事の経緯としましては、ロス市警から、女性白バイ隊員のサンディ(若くて綺麗。両津とは面識あり)が葛飾署に研修でやってきます。



その担当を両津と白バイ隊員の本田が任され、日本の風習他、色々な事を教えていくという内容。数日を過ごすのち、本田がサンディに惚れてしまいまして、それを察した両津が放つ言葉が上記のものなのです。







結果、両津の言葉通りに本田は告白する事をせずに失恋することになるのですが、ラストシーンがまた粋でして。これはぜひ本編で確認してもらいたいものです。


ボクらは、また今月も遠く38万kmも離れた月を見つめます。その輝きは距離を感じさせることなく、幾度の様に白く美しい姿を魅せてくれます。月面着陸をしたアポロにならず、遠くに或るその存在に、幾重もの思いを馳せてみるってぇのも良いのではないでしょうか。


ではまた。


「月は欠けてく 命とともに
 誰も来ないで 私の秘密」
チャラン・ポ・ランタン「月」より



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ontology.307(ヤヨイ一週目)


三月某日 document.7

「あのさ、生まれ変わったら」



【↑ひとり芝居】

コバ・ジュンです。

昨夜、中野の劇場MOMOにて、チャラン・ポ・ランタンの妹、「豚を持って歌います」こと、ももちゃん初の舞台「ももの一人芝居『あのさ、生まれ変わったら』」を観てきました。

初日、初めての一人芝居。根っからのエンターテイナーの彼女なので、心配はしていなかったのですが、やはり少し「畑違いの場所でどれだけやれるのだろうか」との不安もあり。

18:45、劇場MOMO着。隣りのポケットもBONBONも開演間近。その間を縫って劇場に入ります。





一般発売日を忘れていて、ギリギリに取ったチケットだったので、最後列ではありましたが、そこはMOMO、どこでも近いのです。会場内全てがリングサイドです。

開演。

正直、もう何て表現して良いのか。何でしょう、この子の表現力の豊かさ。

「初日?」
「初舞台?」
「23歳?」

とのワードが常に観劇中のボクの頭の中をぐるぐると回り。

「悔しいなあ。でも素晴らしいなあ」

という言葉しか出てこない舞台でした。

オムニバス形式の内容でしたが、話が進むにつれ、「チャランポのももちゃん」ではなく、「ももちゃんという見知らぬ女優が、見知ったMOMOの舞台上で芝居をしている」という、ただそれだけを感じることとなり、単純に演者、内容、演出にグッと引き込まれる結果となりました。演者がパワーを持っていると、それは必然的に見ている方にも伝わります。その力は、MOMOの90名(満員)のキャパの目を。十分に舞台上に引き込ませるものでありました。

終演後、ポラー(チャランポファンの皆様)の皆様と飲みに行きまして、そこでも様々な談義をいたしました。そこで印象深かったことがひとつあるのですが、始めは、

「よかったね」
「すごかったね」

との言葉しか出ないのです。いわば感嘆詞。

段々と酒が回ってくるにつれ、徐々にそれぞれ思った感想戦になってはきたのですが、それまでのあの「どう話して良いのだろう」な雰囲気。それこそがその日の芝居を表現しているのであります。つまり、皆、僕も含め、どう話して良いか分からなかったのです。なぜかって?圧倒されて。あんなにも狭い小屋で、あのチャランポのももちゃんが、ひとりで何十分も出ずっぱりで。気付けば話の内容に飲み込まれていて。さらに気付いてみたらももちゃんがトリプルコールを受けていて。通常のライブならば「今日のセトリは良かった」「カンカンバルカンのあの演奏良かった」となるのでしょうが、舞台ではどこから切り込んで良いか分からない。でも良かったのは確か。しかしそれを言葉として表現するには…。


何はともあれ、ももちゃんの芝居に驚きました。これから千穐楽に向け、どんどんと芝居も演出も良くなっていくことでしょう。やっぱ「生の舞台」って良いな、と改めて感じました。もちろん「悔しい!この小娘!…でもすげえよ!」と思いましたけどね(笑)


ではまた。


三月某日 document.6

「メンテに出したギターが帰ってきたよ(^o^)」



【↑愛器なんだぜ】

コバ・ジュンです。

先日、お知り合いの息子さんがギターリペアの工房をしており、そこにメンテナンスに出したことを書きました。そしてそいつが一週間の旅を経て、帰ってきましたのですよグラッチェ。

いつも行くスーパーの2F駐車場が受け渡し場所。すいません、こんなところで。

ギターを受け取りまして、色々とメンテの結果を聞きます。ネックがこう、フレットがこう、ナットがこう、ブリッジがこう等々。解りやすくひとつひとつの現状&これからどうしたら良いかを教えていただきました。

思えばこのギターも15年以上。え、嘘!?そんな経ってるっけ?そうなのです、経ってます。2002年に車で日本一周した際、大阪の繁華街(たぶんミナミ)の楽器屋で試し弾きしたところ、あまりの良い音に驚愕し、「これ!これが欲しい!」と思うもまだ旅は長く続く予定で、季節は真夏でもあり、そんな環境に木製の楽器なぞ置くわけにはいかない。なので旅が終わったあと、地元横浜の楽器屋で同じ型番のものを取り寄せてもらったのでした。
しかし悲しいことに、そこで弾いた時はあの感動がなかったのです。う〜ん、楽器とはそういうもの。一品モノなんですよね。出会った時に買わねばダメというのを思い知った瞬間でありました。

しかし、弾き心地は良かったため、それを買い求めて現在に至るというわけです。
Aria Dreadnought「AD-50BS」、15年の時を経て、今では最高の、あの試し弾きした時の音を見事に再現してくれています。

嬉しかったのは、今回メンテに出した上記のプロのリペアマンさんが「ホント良い音出ますよね」と褒めてくださったこと。ですよね!良い音なんですよコイツ!ありがとうございます!

初めてのギターメンテでしたが、とても素晴らしい音となって帰ってきてくれました。やはり楽器も道具。しっかりと調整するのが大事のなのですね。またぜひお願いしたいです。



ではまた。


三月某日 document.5

「ウインジョブ!!」



【↑良い買い物をしました】

コバ・ジュンです。

昨日、親戚子ちゃんが働くお店に行ってきました。靴のお店。様々な靴を扱っているお店。

近頃のコバ・ジュン、1日に20,000歩以上、時には30,000歩も歩くことがありまして、今までの靴ではどうもいけない。膝やら足首やら足裏がもう痛くて痛くて。

でです。

そこで、「そういえば親戚子ちゃんが靴専門メーカーの販売員ではないか」と思い出したのです。

そのメーカーでボクが必要としている様な製品を扱っているのかな?と思いましたが、ネットで調べてみたらあらあらまぁまぁ沢山あるじゃねえの。ただし少し値段が張る。普段履いてるのが3足くらい買えちゃうほどに。

でもね、大事なのは体ですよ。それが資本ですよ。体壊したらどうにもならない。

というわけで買いました。わぁ素敵。カラーバリエーションも多数あり、その中でも一番ビビッときたのを注文してもらいました。

実際に履いたところ、これが実に軽く、そして疲れない抜群のクッション性能。やはり足元には金を惜しんではいけないことを思い知りましたよ。

「靴には金をかけろ。楽屋でその靴を見られた時『これ誰の靴?』と言われる様な靴を履け」とは、ビートたけしさんの師匠である、深見千三郎さんの言葉。

大切なのは足元なんです。


ではまた。


三月某日 document.4

「感動なのか発見なのか、もしくはアタシは猿なのか」



【↑なるほど別種】

コバ・ジュンです。今朝の事、コンビニで買い物をしたあと、こんなことを思いました。

「缶ビール二本にチーズとちくわ。一度に両手で持とうとしてもなかなか難しい。でもコンビニ袋に入れたら、指一本で持つことが出来るんだ!」

なんて。これに気付いた瞬間、ちょっと感動しちゃったんですよね。なんだこりゃ(笑)猿かワシは。道具使えば高いところのバナナも取れる!と初めて知った猿か。

そんなことをtwitterでつぶやいたらこんな返信が。

『創意工夫は面白いですね。っていうの一例じゃないかなと』

ますます猿か(笑)でも何だかちょっと楽しい気分になった自分がそこにいました(笑)確かに試行錯誤して工夫して、それが身となり使いやすくなったとしたら、嬉しいですものね。あ、なんだか今色々考えたら、特許取れる製品とか作れそうだぞ。栗の皮むき器とかどうだろう(もうある


全然違う話。

先週土曜日のNHK「ブラタモリ」は奄美大島からでした。奄美大島の宝を探っていく内容でしたが、タモリさんが泥田に入って作業をしている際、背後に聞こえたSE(?)が、カエルの鳴き声。カエル大好きなボクにしてみたら、アオガエル系の鳴き声だとすぐに分かるのですが、果たして本土にいる「シュレーゲルアオガエル」と同種なのだろうか?と疑問に感じたのです。と思いつつ、特に調べもしなかったのですが、昨夜自宅二階のトイレに入った時に目に入ってきたのが、

「アマミアオガエル」

の文字。なんだ、毎年買っている松橋利光さんの「FROGS!」カレンダーで一発回答でした。そうか、やはり離島だとまた別種になるんだなあ。面白いものです。

そんなこんなで寒が戻った三月上旬。皆様風邪などお召しにならぬ様ご自愛くださいませ。


ではまた。


三月某日 document.3

「花粉ガヒドイ」



【↑なんか美味しいと評判のアイス】

コバ・ジュンです。気温が徐々に上がり、暖かい日が訪れてきそうな気配ですね。だってもう3月ですもの。三寒四温とはよくいったもので、さらに雨が降るごとに春の足音を身近に感じられる様になってきました。考えてみたらもうすぐ桜咲くじゃんか。

しかしそれを喜んでばかりはいられないのがワタクシ。暖かくなるのは良いのだけど、それに伴ってね、色々な弊害が出てきてね…。そう、花粉症なのです。

目がかゆい!一度アレルギーが始まると、止まらないくしゃみ、そして鼻水。温度の変化によって発症する事が多いので、寒い駅のホームから暖房で暖められた電車の中に移動したりするとまぁ大変。そこから猛烈な症状が始まります。隣りの席の人が移動してしまうくらいに。

もうね、これ国民的な症状なのだから、国が本気で対策をして欲しいです。可哀想にニホンザルも花粉症になるそうじゃないですか。でも一向に対策に動かないのは、きっと色々あるのでしょう。医療関連や製薬会社との癒着とか、おっとっと。

海外ではこういうのないんですかね?もしあったとしても、先進国ならば即対策をしているのではないでしょうか。我が国は何だかこういった面、昔から弱いですよね外交含め。事なかれ主義とでもいうのかなあ。「自分の任期のうちは平穏であればよし」みたいな。でも「事はある」のですから、ホント何とかして欲しい。どれほど生産性が落ちているか、グラフにでもしてやりたいくらいですよホントにもう。

話は変わり最近の料理。

もつ鍋


せり鍋


千葉県産天然ブリのお刺身


相変わらずエンゲル係数高いです。ストレス解消のためこうするしかない(笑)


ではまた。


三月某日 document.2

「老眼とシミ(&貴族になった報告)」



【↑ズボンの尻を縫いました】

コバ・ジュンです。

暇さえあればスマホをずっと見続けているせいでしょうか。最近、「老眼」の進み具合がかなり酷い状況です。今朝のこと、ある縫い物をしたのですが、もうね、近眼用のメガネしたままだと手元が見えねえの!(笑)針に糸通すなんて言語道断!よってメガネ外して糸通すじゃないすか、んで、いざズボンを縫うために手に取るじゃないすか、そうすると、メガネしてないから、さっき糸通した針をどこに置いたか分からないというね(笑)ああぁ〜ああああ、年取るってイヤアねえ。

以前、こういった事柄を「老人力」として本にした方がいましたね。赤瀬川原平さんでしたっけ?おお、検索してみたら合ってた。どういうことかと言いますと、物忘れが激しくなったり年齢を重ねる毎に襲い来る老化による衰えを、前向きに「老人力がついてきた」とする考えなのであります。

誰だって老化は嫌です。不死とまではいいませんが、不老には憧れますよね。あの時の若い状態を保ったままでいたい、こんなほうれい線が出る様な顔は望んでいない、気をつけているのに角を曲がっただけでお腹からのガスが出ちゃう、くしゃみしたらおしっこ漏れちゃう…。

ボクが今悩んでいる4topは、「薄毛、白髪、ほうれい線、歯の黄ばみ」ですね。と言いつつ、どれも強く抗う気持ちはないんです。自然に老けていけたらなあという思いの方が強いのです。ハゲるならハゲろ!白髪になるなら全部白くなれ!で良いのです。一応モデルという仕事はしていますが、それらが原因で仕事がなくなったら「それまで」ということ。実力あればそんな4top吹き飛ばせますもの。或いはそれが強みになったり。「ハゲたから仕事なくなった〜」ではなく、「ハゲたからこそさらに仕事がある!」を目指さねばならぬのです。



老眼は何とかなります。シミもメイクで隠してます。生え際の白髪は染めてます。これら、抗っている様でいて、実は本人的にはそこまで抗ってない事柄。ただ必要に迫られて、需要がこういった方向だから、という理由。正直、自然体が一番良いですもの。もちろんそれが現状のダメダメ期間に繋がっていると思いつつ、そこまで無理することもねぇのかなと、ね。

もう、なるようにしかならねぇんじゃねえの!?それでええやんけ。だってボクはボクという個人を失くすためではなく、ボクという生き物を確かめてもらうべく、今まで生きてきたのだから。

ね。

ではまた。


あ、最後に、

チャランポ王国の貴族になりました。ついに。


三月某日 document.1

「ギターメンテ!」



【↑豚そぼろ&炒り卵。あら美味し】

コバ・ジュンです。

本日より三月です。弥生。ヤヨイ。早いものです。今年ももう残すところあと10ヶ月となりました。すぐに桜が咲いて汗ダラダラの夏が来て紅葉を見に行ってクリスマスを迎えて紅白ですよ。本当に体感時間が短くなった。年取るってこういうことなんですね。時間に追われるのはイヤ。時間を忘れた子供でいたい。

さて、月末の怒涛の「世を忍ぶ仮の仕事」を終えた後、一旦家に帰り、そして間を空けずに10年使っているギターを外に持ち出しました。わぁ、なんかギター持って出かけるの久しぶり。待ち合わせ場所に着くと、そこには初対面…といってもいいくらいのお久しぶりな顔が。だって以前会ったのは彼が7歳くらいの時だもの(笑)

そんなわけで、お知り合いの息子さんが現在はギターリペアをやっているということで、ギターのメンテをして頂くことになりました。某I楽器から仕事を請け負っているというので、信頼してお預けすることが出来ます。フレットのすり合わせまでは行きませんが、ネックの調整などをしてもらう予定です。なんだかんだで現役のAriaももう10年選手。本職に言わせると「かなり弾き込んでいますねえ」だそう。だよねえ。だって今まで一度もメンテに出したことなどないんだもの(苦笑)。

正直ここ最近、忙しさにかまけてギターをほとんど触っていませんでした。弦を押さえる指が痛くなるくらいには(普段から弾いているならば、痛くなることはまずありません)。他には、あまりにも自分のギターが下手くそで、その音を聞くのもイヤなんです。才能がまったく無かったので、とにかくダメ、下手くそ。始めてからもう30年近くなるというのに、この腕前ではどうしようもないです。なので自然と音を鳴らす行為から離れていってしまい…。

人間、向き不向きがありますね。「音」自体は凄く好きなのですが、楽器を奏でることに関しては、ボクは本当にダメだった様です。というより、「芸術的才能」をまったく持ち合わせていないみたいです。ただ単に憧れていただけな感じ。なんか悔しいなあ寂しいなあ。クリエイティブなことをしたくとも、それはやけっぱちの創造でしかないんだなあ。

と、クリエイティブ関連でご飯を食べていける方を尊敬している毎日。

そんなこんなで三月が始まりましたよ。


ではまた。



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