山陽地区編

岡山県
(7/4~5)

・名所〜倉敷美観地区、大原美術館
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

倉敷にやってきました 天気悪いなぁ 一人は寂しい これからどこ行こう 倉敷中央通り。
静かな町並み

記録:
 四国から帰ってきたワシを迎えてくれたのは、相も変わらず天気の悪い本州の空であった。しかし天気待ちもしていられない。というのも、当初の予定を大幅にオーバーしているからだ。本来はもう九州に入っているはずだったのが、このままでは真夏の九州、そして北国編は寒い時期になってしまいそうだ。あぁやはり始めに北国編に行っておくべきだったか。などと考えているウチに、倉敷市着。岡山は特に何もないと思うので素通りしようと思っていたワシに(岡山の方申し訳ない)、美観地区と大原美術館は行っておけという情報が入る。というわけでまずは倉敷美観地区。写真の通り白壁の町並みやら小川のせせらぎなど、その名の通り「美観」。あまり感慨深くはありませんでしたが。売店のねーちゃんは携帯でずっと話しっぱなしだし。なので一通り見た後、すぐに大原美術館へ移動したのでした。

 普段絵画にはあまり興味のないワシ。写真の「良い悪い」は自分なりにわかりますが、絵はどうも‥‥ね。しかしじっくり見たことないのも事実。ここは一発ダマされてやろうじゃないかという心意気と供に、門をくぐったワシを待ち受けていたのは素晴らしい美術品の数々!いやぁ、絵や彫刻に感動したことなんてなかったんだけどなぁ。ここは良いですよ、はい。棟方志功の版画や、シャガールの絵を観ながらしばしのんびり。さすがに現代美術はまったくわからなかったけど。

 昼過ぎ、野池を捜すため(また釣りかよ)広島方面へ。そこで信号待ちをしているときに凄い瞬間を見てしまった。一台の車(フルスモーク)が警察に職務質問をされていたのだが、「開けなさい(コンコン)、開けなさい(コンコン)、‥‥開け、(きゅるるるるる、ぶぉぉぉぉぉん!)あぁ!‥‥追え!」と刑事ドラマのような一シーンを。その後どうなったかは知らず。でも面白かったなぁ。あんな真っ昼間のしかも周りは田んぼで隠れるような場所がないのに、あの車は逃げ切れたんだろうか?あとで聞いた所によると、その頃岡山や広島では悪質な殺人事件が多発していたよう。それの関連だったりしてね、ふふふ。

 のち、適当にふらふらと野池を見つけては釣り。釣り人と話をして色々情報も入手。それによると「この辺の池には全部(バスが)入ってるよ」とのこと。うぅまたしても関東じゃ考えられん。といってもあまりデカいのがいなさそうだったので、1つの池で10投ほどしたら移動してました。なんてぜいたく。そのまま広島県へ。

広島県(第一部)
(7/5)

・名所〜なし
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

記録:
 「太陽にほえろ!」さながらの追跡シーンを見物したのち、向かったのは広島県福山市。以前の仕事仲間から教えてもらった野池で釣りをする。時間はすでに夕刻だったのであまり長い時間を費やすことは出来ない。自然と一投一投に力が入る。が、魚の姿を見ることが出来ない。ある程度周りは釣れているし、あがってくるのは小物ばかりといえど一本は釣って帰りたい。色々ルアー交換をしながら、最後はこの旅でたびたび(シャレではない)助けられているルアー、ウチの掲示板にも登場する小川健太郎氏が開発した「SIN-ZO BAIT」に付け替える。そしたら一発ですわ、これが。しかもぷりぷりの45cm。カメラを持っていかなかったので写真はないが、ロッドぶち曲がり、ドラグキューン!と久々に良い釣りが出来た。池を教えてくれたI君、そして小川氏に感謝。

 予定ではこの日よりYさん宅にお世話になるということだったが、諸事情により復路で寄ることとなる。なので福山から一気に山口県は錦帯橋へと向かったのであった。

山口県(第一部)
(7/5~7)

・名所〜錦帯橋、海響館、下関市街、関門海峡
・食べ物〜ふく
・温泉〜なし

錦帯橋。雨で流されそう 寝不足で不機嫌 白蛇様。他にも数匹いました 下関の水族館「海響館」にきました (0^〜^0) &( ´ Д `)
( ´v `) & 从´∀`从 トラフグだぁ!うまそう まんぼー ショー会場からは関門大橋が この柵を見てピピっと来たあなた、
立派なモーヲタです
みっちゃん平家ガニ 謎の生命体?いえ、エイです。 3P 最終的には8Pくらいまでいった 壇ノ浦
海戦を思わせる一枚 唐戸市場 ふく(フグ)の刺身! むさぼり食う 活気に溢れてます
     
翼よ、あれが関門大橋だ いざ九州!(性懲りもなく運転中に撮影)

記録:
 200kmを越える道のりを走破し、錦帯橋に着いたのは23時を回っていた。毎夜寝る場所としている「道の駅」も近くには見あたらず、闇夜の中寝場所探しから始める。すると錦帯橋下流に無料駐車場を発見。トイレはないが一晩眠るだけなら格好の場所。早速車を停め寝の体勢に入ったのだが、突如滝のような雨に襲われる。屋根を叩く雨音、あがる湿度、そして川の氾濫の恐怖‥‥。次から次へと襲い来る自然の驚異にびくびくしながらも、普通に寝る。尚、この日よりNHKのドラマ「恋セヨ乙女」にハマってしまった。のち毎夜これを見るため電波の受信が良い場所へ流浪を繰り返すこととなる。(余談:次の日確認したら、トイレはすぐそばにあった)

 翌朝、錦帯橋とシロヘビ館を見る。雨は相変わらず降り続いている。その後、徳山市〜防府市〜山口市と抜け、17:00、お世話になる宇部市のYさん宅到着。ここでも愛媛のOさん宅同様、Yさん本人がいないのにお世話になってしまう図々しさを発揮。お父様、お婆さまには大変良くして頂きました。ありがとうございます。夜中、酒を飲んでベロベロで寝ているワシのもとへ「花火をやろう」と起こしに来たお父様が忘れられません、色んな意味で。翌朝感動のお別れ。あまりに良くして頂いたため、別れるのが非常に名残惜しかった。

 その日の午前中に下関入り。まずは某グループのファンにはたまらないであろう水族館「海響館」を訪れる(写真で察してくだされ)。昨年新館建設と供に場所も変わったためか地図もナビも正確な場所を示してくれず、なかなか到着しないトラブルにも見舞われたが、なんとかたどり着き、しかも快晴というオマケまで付いた。さすがヲタパワー、ここでも青い空が微笑んでくれたのであった。館内は非常にバラエティに富んでおり、下関ということでフグ関連が充実しているなど、水族マニアなワシにとっても充分楽しめる出来であった。ペンギンも可愛かったしね。なんせ( ´ Д `)さんと ( ´v`)さんが触ったペンギンですもん。そのあとペンギンを盗もうともう一度館内に戻り、「かっけ〜!」で有名な巨大アナゴの「ごなつよ」を探すも、見かけることが出来ずとても落胆してしまった。あぁ「ごなつよ」よどこへ?死んだのか?それとも盗まれたか?

 水族館を出、次に向かったのは隣接している唐戸市場。どうやらこの辺り一帯は下関の観光名所として売り出し中(?)の地区であり、数々のレストランや名所が狭い地域に密集している。おかげで駐車場も一日/\700前後で大体は見て回る事が出来る。場所事に駐車料金をせしめる他の観光地よ、下関を見習え。さて、市場。高知で寄ったひろめ市場にも似ているのだが、違いはなんといってもすぐ脇が海だということ。そして規模も大きい。ひろめ市場は市場といっても商店街のアーケード様式なのだが、ここはまさしく「市場(しじょう)」という名がぴったりくる。祭日だったためかセリなどは行われておらず、代わりに観光客目的のちょっとした食事が出来る場所になっていた(写真参照)。普段は市場で働く方のための店であるためか、値段も安く、そして新鮮。というわけで「ふくの唐揚げ」「ふくの刺身」を頂いたのであった。ちなみに下関では「フ」と濁点を付けないらしい。これは「ふくを食べて福になろう」という考えから来ているという話。ホントかどうかは知らないので、鵜呑みにせんといてください。(余談:のちのち聞いた話によれば、この時食った「ふく」はカ○ハギとかそういった「フグの仲間」である可能性が高いらしい。どうりで安いわけね(T_T)

 対岸の九州を見ながらブラブラと港を歩く。いよいよやって来たんだよ、ここまで。「♪けれど〜マ〜ルコ〜、お前は〜来たんだ〜」と名作劇場の歌が頭の中を回る中(ポンチョは着てないけど)、車に戻りいざ九州へ。大きな期待を胸に関門大橋(下関IC〜壇ノ浦PA〜門司港IC)を渡ったのであった。

 ここで一端九州へと向かいます。
九州編はコチラから
山口県(第二部)
(7/30~8/1)

・名所〜角島、萩市街(長州関連)、絵堂、秋吉台、秋芳洞
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

角島へ向かう橋 見よ!この海の色! 角島灯台(5ヶ所目) 難破船がそのまま(苦笑) 萩にやってきました
松下村塾 高杉晋作生誕地 木戸孝允(桂小五郎)生家 いい庭ですなぁ 小五郎と供に
長州藩藩校「明倫館」 明倫館、水練場。龍馬も泳いだ? 水路の町、藍場川周辺 外観は普通ですが 川を上手く利用している
ほんとに静か 柵(苦笑) 絵堂神社。すごくマイナーだが 奇兵隊マニアはぜひここへ 秋吉台
日本にも色々ある カルスト台地(?) ぶらさがり健康板 秋芳洞入り口 中は意外と広かった
大自然の驚異 フラッシュ焚いたらダメよ ヨーロッパのお菓子みたい 広い〜! 綺麗なトンボ

記録:
 (九州地区より続く)小倉から関門トンネルを経由し、いよいよ本州に帰ってきた。九州も暑かったがこちらもいよいよ夏本番。真夏の太陽がジリジリと照りつける中、進路を日本海側に取り、まずは灯台巡り5ヶ所目である「角島灯台」へ。大体の場所は分かっていたので、陸沿いを走り続ければたどり着くと考えていたのだが、どうやらそれは間違いだと気付くまでに50kmほどかかった。その名の通りそこは島なのだ。山口のYさんからもらった詳細地図によれば、角島はとても小さな島で渡る方法は海路しかないらしい。しかしすでに時間は午後であり、これから船に乗って渡ったとしても長くは居られないだろう。しかも今から乗れる船があるかどうか分からないのだ。明日に延ばすには中途半端な時間過ぎるし、といって通り過ごすわけにもいかない。とりあえずその場所までは行こうと、ナビに渡船場所であろう箇所をインプットしたのであった。

 目的地に着いたワシの目に入ったのは大きく立派な橋。ん?これはどこに続くのかな?...なんのことはない、すでに橋がかかっていたのだ。参考にした地図が少し古かったのだ。早速橋へ向かうと通行料は無料という嬉しいオマケまでついてきた。あとで確認した所によると、ここ角島は橋が架かったことにより観光地化を急ピッチで進めており、現在道路やリゾート施設などを建設中とのこと。なるほどね。

 人気の少ない、そして自然が多く残るまだ俗化していない道を走り抜け灯台着。しかしここで考えてもいなかったハプニング発生。「全国の灯台を巡ってます。これに記念スタンプをお願いします」と受付に頼むと「あぁ、今スタンプは新しく作っていてもらっていてね」「はぁそうですか」「だからないよ」「はぁそうで.....はぁ?」えぇ〜どうすりゃいいんだ?と言ってこのおっさんに手書きで書いてもらうわけにもいかねーじゃねえかよ!結局その券は真っ白のまま『訪問した記録を残せないで』ワシの手に戻ってきたのであった。うぅまた来なくちゃいかんのか...。それはともかく島自体は非常にキレイで、開発前だけに海も砂浜もキラキラ輝いており、手つかずの自然を体感出来る。難破船もそのままで....それは違うか。まぁリゾートばりばりになってしまう前に一度訪れてはいかがだろうか?今が旬ですぞ。その後島を離れ、その日の夜萩市内に入る。

 次の日は朝から萩の街を堪能した。松陰神社〜松下村塾〜伊藤博文旧宅〜高杉晋作旧宅〜木戸孝允誕生地〜武家屋敷〜明倫館跡〜藍場川周辺〜旧湯川家屋敷〜桂太郎旧宅等々。これだけ廻れるのも、すべて無料のおかげ。そう、萩はほとんどの観光施設が無料で見学でき、しかも駐車場も無料の所が多い(一部有料あり)。これだけでも最高なのに、街自体がとても素晴らしいのだ。まるで幕末から時間が止まったかのような静けさ。聞こえるのはセミの鳴き声や生活の音のみ。市役所前の大通りでもほとんど車は通らず、照りつける太陽でさえ静けさを演出するのに役立っているのではないかと思わせる、情感溢れる街なのだ。そこにワシの大好きな長州藩が関わってくるのだからそりゃあもう至福の時。思いきり趣味に走り、何か関連物を発見するたびに狂喜乱舞する単なる長州ミーハーと化してしまったのだった。木戸孝允宅ではあまりのワシの熱心さに惹かれてか、案内の方が普段観光客を入れない部屋にまで通してくれるという嬉しい事件まで起こった。

 さて、中心街より少し離れたところに藍場川という水路が流れ、それを上手く利用した家並みがある。写真の通り家の中に水路を通し、その水で洗い物をしたり風呂に使用したりと生活の知恵の固まりのような家だ。「萩焼き体験出来ます」の看板が立てかかる、そんな家屋の作りに感心しながら水路沿いを歩いていると、いつの間にかコイが沢山寄ってきていた。可愛いなぁ、さっきは家の中に入ってきていたね。これからどこへ行くんだい?ここは静かな町だから、ずっとここにいるといい。‥‥待てよ。考えてみればこいつら良くここにとどまってるなぁ。エサを貰えるとはいえ、中身は魚。ということは余程上手く慣らしてるんだな、さすが萩の街。ますます好きになったよ....。そんな穏やかな気持ちでしばらく歩いていくと、水路に柵。そうか、そういうことだったんだね....(T_T) その後、昼飯を食べたお好み焼き屋のにーちゃん情報を頼りに73cmという巨大バスがあがった阿武川ダムへ向かうも、減水で釣り不可能。仕方なく秋吉台方面へと進んだ。

 翌朝、「この旅が終わってしまう」ほどの大衝撃が私の中を突き抜けた。そう、分かる人には分かる「7.31の変」だ。ここでその詳細を述べても意味がない。体中から汗が噴き出、ちょっとしたパニック症候群に陥る。気を落ち着かせようとそばにあった池へ向かうが、頭に浮かぶのはその「変」の事ばかり。気分はどマイナー。当然魚など釣れるわけもない。

 気を確かにした後、おそらく普通の観光客は誰一人訪れないであろうマイナーな場所「絵堂」へ。ここは司馬遼太郎「竜馬がゆく」で「日本史上初めて庶民が武士に勝利した」と記されている、奇兵隊vs藩の俗論党が戦った地なのだ。といっても興味湧きませんね、はい趣味に走ってます。静かな土地でした。

 その後秋吉台へ移動。まだ気分は下向き加減のままだったが、大自然を見ることによって少しは忘れることが出来た。阿蘇、雲仙に続く感動を覚え、人がいないのをいいことにはしゃぐ。のち、草原を下っていると一人の女性が立ち止まっているのが見えた。鼻緒でも切れたのかとどうしたのかと思い近付くと、遙か遠くでこちらに向かって「×」を出している人物が。「ん?」女性が話しかけてくる。「ごめんなさい、今ロケ中でして...」どうやらオイラ「見切れてた」らしい。旅番組のロケをしていたようで、女性レポーターの散策シーンを引きで撮影していたのだ。それも相当長回しで。すんません、もう帰ります。

 昼過ぎ秋芳洞へ。その大きさにこれまた感動。今まで行ったことのある鍾乳洞とはスケールが違う。観光客も多く観覧料も高かったが、これほどのものを見せられたら何も文句ないっす。

 夕方、ナビで見つけた池に移動。人は誰もいない。でも魚はいる!しばらく釣りしたが2本しか出なかった。うむ、ヘタだ。その夜は一時島根県入りし、津和野で温泉に入る。(全国灯台巡り5ヶ所目「角島灯台」制覇)

広島県(第二部)
(8/2~7)

・名所〜広島市街(原爆関連)、三段峡、宮島、尾道
・食べ物〜広島風お好み焼き、もみじまんじゅう
・温泉〜なし

三段峡にやってきた 絵はがきにでもなりそう やまめの釣り橋 シマヘビ君も歓迎 舟がくる
渡し船のおっちゃんと 原爆ドーム 貞子の像 千羽鶴 慰霊碑の前で
もうすぐ八月六日 その曲はだね... 野球を見に来ました すごい盛り上がり にわかファンになってみる
おとうさん、「まつい」がいたよ さながら甲子園のよう 安芸の宮島 厳島神社 海水がここまで
大空の絵画 瞬間の芸術 8/6 平和記念式典 日本国首相 ものものしい警備
参加する 鶴を折る 8/6 灯籠流し 安らかに 幻想美
 
尾道にやって来た しまなみ街道 ラベンダーの香り... マジですか!?
これぞ尾道! ふと振り返る タイル小路

記録:
 津和野で起床し、性懲りもなく昨夜の池(山口県)へリベンジに向かうも、今度は一本も釣れないという悲惨な状況で迎えた8/2。この日は広島入りを果たすため、日本海側から瀬戸内海側へと大移動をかまさなければならない。くねくねとした山道を走り抜け、目的地の弥栄ダムに着いたのは14:00。この後半日釣りをして過ごす。で、そのまま寝る。

 翌朝、8:00まで釣りをし(こればっかりや)、その後三段峡へと移動。その名の通りここは三段の大きな峡谷からなる。渓谷の崖沿いを歩き、渡し船に乗ったり川遊びをしたりと楽しむ。周りの家族連れが「魚がいたよ!」と遊ぶ中、ワシだけ河原の石をひっくり返しプラナリアを探しているのが、相変わらずのゲテ物好きを彷彿とさせなんとも言えなかった。帰り道「マムシがいたんだ!」という観光客の声に多少ビビっていたワシの前を、大きなシマヘビが横切っていった。大丈夫だ、コイツは毒持ってないから。その後、今夜から泊めていただく、広島市内にほど近いYさん宅へ移動。久しぶりに屋根の下の嬉しさを味わう。お忙しい中ありがとうございました。

 翌日は広島市内を見物。原爆ドーム〜平和記念公演〜原爆資料館等、戦争関連を主に見て回る。ここでやっぱり思っちゃうのはア○公許せねえ!体のいい人体実験の材料にさせられた、被爆者に心から哀悼の意。さて、8/6の原爆記念日が近いこともあり、公園周囲では着々とその準備が進められていた。その横では戦争反対を唱える団体やら、千羽鶴を折る人達、そして川沿いではギターを弾き平和を歌う若者達、その様子を映す外国人のジャーナリスト‥‥、ん?ちょっと違うぞ?おい、そこの外国記者、たぶんあなた方は「ニポーンでは原爆記念日が近付くに連れ、各々の団体が平和を唱えこの地区に集まってきていマ〜ス。中でも少年達はギターを片手に熱く平和を歌っていマ〜ス」などと報道するかもしれんが、今彼等が歌っているのは「ゆず」だ。愛と平和じゃない。柑橘類だ。そこの所を間違えないでね。夜になり、Yさんと供に市民球場で広島vs巨人を観戦。本当は巨人側に入りたかったのだがウキウキ気分でライトスタンドに向かったワシを待ち受けていたのは超満員の観客。ドームでの観戦に慣れていたワシにとっては、あのゴミゴミさと汚さは古き良き野球場を思い出させた。川崎とかこんな感じだったなぁ、客の数全然違うけど。さて、広島といえば「北別府、小早川」くらいしか知らないワシが「ひがしで〜(註:東出選手)」と応援するのは相当無理のある情景だったが、応援自体は楽しい。しかも勝ちゲーム。気付いたらビールを¥2,500分飲んでいた。たまにはこういうのも面白いな。

 翌日は昼過ぎまで寝てしまい、宮島を案内してもらった頃には夕方近かった。いやな予感はしていたのだが、予想通り厳島神社の観覧時刻は終了していた。しかしワシらと供に宮島に降り立った方々のおかげで(なかばゴリ押しで)入場させてもらい、結果とても綺麗な写真を撮ることが出来た。ありがとう!名も知らぬ旅人よ。もみじまんじゅうも美味しかったしね。まんじゅう型キティには驚いたが。 余談:宮島ってホントに島なのね。船で渡るなんてちっとも知りませんでした。(日本三景第一ヶ所目:宮島制覇)

 翌日、この日は8/6。平和記念式典に参列するため、Yさん宅よりバスで市街中心部へと向かう。さすがに世界的な式典だけに人が多く、オマケに今回は首相も参列するため警備も物々しく、参列と言うより単なるやじ馬になってしまった。ふとパンフレットを見ると一枚の折り紙が。どうやらこれで鶴を折り、戦没者への供養とするようだ。折り方が書いてあるページを見ながら小さな紙と格闘するもなかなかうまくいかない。そりゃそうだ。ここ数十年折り紙など折ったことはない。ましてや鶴だ。やっこさんも折れないワシに簡単に出来るわけがない。無料で配っていた冷たいお茶とカチンカチンのおしぼりを貰い再度チャレンジするも、出来たのは鶴と言うより、【まきびし】に近いものとなってしまった。が、大切なのは気持ちだ。この日も太陽はじりじりと照りつけていた。

 昼過ぎ、車で呉〜江田島を廻る。海といえば砂浜程度しか知らないワシにとって、瀬戸内の海が珍しく映る。対岸が見えるというのは関東に住んでいる人間にとってあまり経験出来るものではない。午前午後と戦争に関連する場所を巡り、まだまだ日本には知らない場所が沢山あると再認識したのであった。

 夜になりもう一度市街へ戻り、「灯籠流し」に参加する。原爆ドームがライトアップされ幻想的な雰囲気の中、川面に浮かぶ無数の灯籠。慰霊の意味をまったく分かってない人間も中にはいたが、彼等の中では半ばイベント、名物と化してしまっているのだろう。といいながら写真を撮りまくってる自分もいたのだが。戦後50年以上経ち、悲しい記憶は徐々に忘れ去られつつある。まるでどこへともなく彷徨いながら流れていく灯籠のように。

 翌朝、大変お世話になったYさん宅を後にし、尾道へ向かう。ここは映画でも幾度かロケ地となっている場所であり、一度は来てみたいと思っていた場所であった。千光寺公園Pに車を停め、いざ散策。小径と階段で形成された静かな町をのんびりと堪能する。街路のひとつにタイル小路というのがあり、どういった由来かは分からないが所狭しと地面や壁にタイルが貼り付けてある。ほとんどに観光客が尾道へ来た感想などを書いている。時間があったので神社の絵馬よろしくひとつひとつ見ていったのだが、その中のひとつに「尾道さんへ 奥田民生」と書かれているタイルを発見した。これ本当なんでしょうか?ファンの方教えてください。もしくは筆跡鑑定してください。夕刻、島根へ向かって再度横断。強い日差しの中一日中歩いた後の170km走行はさすがに効いた。(山陰地区へ)

中部地区 四国地区 関西地区 九州地区 山陰地区 北陸地区
静岡、岐阜、愛知 香川、徳島、高知、愛媛 滋賀、三重、奈良、和歌山
大阪、京都、兵庫
福岡、大分、宮崎、鹿児島
熊本、佐賀、長崎、
島根、鳥取 福井
back
©2002 Junichi Kobayashi. All right reserved.