九州地区編

福岡県(第一部)
(7/7~11)

・名所〜福岡市街(天神、大濠公園、中洲)、博多、太宰府
・食べ物〜博多ラーメン、馬刺、寒北斗(日本酒)
・温泉〜なし

掲示板でもお馴染み、madaさん 馬刺しっす。 もうベロベロ madaさん父作の「寒北斗」 せっかくの野菜でこんなことを...
福岡の中心街、天神 二人で歩いたね、夕暮れの「大濠公園」 「警察24時!」とかでお馴染みの交番 山笠祭りが近かった 親不孝通り。本来はこんな字なんですな
太宰府天満宮。今更何を願うの? madaさんVS牛 エビじゃありません、コイです (;´Д`)ハァハァしてます ナンパしたおねーちゃん(笑)
カールくん でかいんだよコレが! ヒラマサをさばくmadaさんです ん〜、真剣。惚れちゃいます 連日連夜の歓待m(_ _)m

記録:
 下関よりR3〜R10〜R322を経由し、福岡県久留米入りしたワシを迎えてくれたのは、掲示板でもお馴染み「久留米の種馬、ウマヤラシイ」ことmadaさんであった。彼とは以前奈良県池原ダムで釣りをした間柄であり、今回そのツテもあってお世話にならせて頂く事となった。筑後川沿いの土手を走り、20時過ぎmadaさん宅着。そこに待っていたのは豪勢な料理、酒、そしてだった。知っての通りワシは犬嫌い。しかもここの犬はラブドールトリスバーとかいうものすごくデカい犬で、しかも人なつっこく「ハァハァ」と手荒い歓迎を受けたのであった。夕食は九州と言えば馬(?)料理ということで馬刺や馬ホルモンを頂く。そして杜氏であるmada父さん作の日本酒「寒北斗」これがまた絶品であった。その後は写真にある様に前後不覚になるまで痛飲し、以後この歓待は毎晩のように続くのであった。翌日は阿蘇登頂の予定なのだが、果たして登れるだろうか?(熊本県第一部へ)

 一日おき、この日は福岡市内を見物。西鉄大牟田線に乗り小郡〜福岡(天神)駅まで。あいにくの雨模様となるが、そんなもんは四国で慣れていたためスタスタと歩いて色々巡った(余談:「傘持っていかんと?」というmada母さんの言葉を聞かなかったため、買うハメには陥ったが)。天神〜福岡城跡〜大濠公園〜中洲〜博多〜親不孝通りと地下鉄や\100バスを駆使し、もう廻りまくり。その後仕事帰りのmadaさんにpick upしてもらい、家へ帰る。山笠祭りが近かったため、各町でそれぞれ思い思いに彩った山笠を見ることが出来た。心残りは昼間に中洲へ行ってしまったことだろうか。

 翌日はmadaさんが休みを取ってくれ、一緒に太宰府天満宮へ。池が赤くなるほど大量にいたコイにエサをやったり、バカやったりと楽しい一時を過ごす。その後、町とはうって変わって山奥の田篭&浮羽町へ。ヤマメやバス釣り(釣れなかったけど)を楽しむ。旅に出てから常々思っていたのだが、東京から離れた地区は(田舎とは言ってませんよ、念のため)、まず人が住む町の中心部があり、そこからほんの少し車を走らせれば自然を豊富に残した山、川、海にたどり着くという事実がある。至極当たり前の事なのであろうが、都会っ子のワシにとってはとてつもなくウラヤマシイのであった。だって玄関先にヤモリとかカエルがいるんだもぉん。ステキ。【クッキン○パパ】というマンガで「定時に仕事を終わらせて夕食を作りに家へ。その後会社に帰って残業」という描写があったのだが、東京じゃそんなの考えられない。しかしここではそれも可能と思わせるほどゆったりと時間が流れているのであった。仕事帰りに釣り出来るなんてなんと素晴らしきことか。さて、いよいよ福岡最後の夜だ。いっぱい飲みませう。madaさん友人から頂いたヒラマサを肴に、久留米の夜は更けていくのだった。

 明けて7/11、大変お世話になったmadaさん宅を辞し、大分県へ向かう。ありがとうございました。おかげで楽しい九州が満喫できそうです。

熊本県(第一部)
(7/8)

・名所〜阿蘇山
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

阿蘇の大平原 牛が放牧されております 伝わるかな〜、この広がり 噴火口近く 登山記念
トーチカ。噴火したら避難しろって 火口はエメラルドブルー 別の火口 高原に 延々と続く 道一本

記録:
 福岡入りした翌日、一時進路を熊本に取る。目的はラドンの故郷(?)阿蘇山。久留米からR210~R212を経由、途中大分県に入り、そこからさらに熊本まで雄大な大自然の中を走り続ける。筑後川の水流とそれにかぶさるようにして生い茂る緑があたかも原生林にいるかのように思わせ、巨木を荷台いっぱいに積みすれ違う林業のトラックが木の匂いを運んでくる。そして阿蘇のふもとからは青々と広がる大草原の中、どこまでも続く道を7月の風に吹かれながら目的地へと向かう。途中放牧された牛がのびのびと草をはんでいる光景にも出くわした。その体に番号が刻まれているのはご愛敬だが、心なしか目は生き生きとしているように見えた。本来比較したりするような物ではないのだが、地方によってこれほどまでに、しかも狭い日本国内において景色の違いを思い知らされるとは、九州に来るまで知らなかった。関東近辺の高原は「繊細」、九州は「壮大」とでも言おうか。とにもかくにも空の色、大地の息吹、流れる水の音などすべてにおいてすれっからしの自分を癒す結果となった。

 久留米を出て3時間ほど経過した昼前、ようやく阿蘇山火口に到着した。といっても見る物全てが珍しかったためそんなに時間は感じなかった。さて、ここ阿蘇山は日によって火口より噴出する有毒火山ガスのため火口付近に近付けないこともあるそうだが、この日は運良く一般客が登れる限界地点まで来ることが出来た。いざ火口を覗いてみると、白い噴煙がもうもうと吹き出し、風向きによってはエメラルドグリーンに染まった底まで見える。ものすごい硫黄臭の中周囲には溶岩が点々と転がり、活火山にいるのだという現実を思い知らされる。まさか噴火はせんだろな?と心配になりながら、【万一の場合はここに避難してください】と書いたトーチカに入ってみる。だが小さい。小さ過ぎる。火口まで50m程度の近さだ。なのに小さい。これじゃ牛糞小屋だ。一応はいくつか点在しているのだが、これで助かるのか?ふと気になりトーチカに入れるであろう人数と、周りの観光客の数を比べてみた。無理だ、あの奥様方は助からない。今噴火が起きたら永遠に阿蘇のオブジェと化すだろう。さようなら奥様方。もっとも本当に溶岩が溢れ出したらこの中にいてもひとたまりもないだろうし、気休め程度の避難所なんでしょうね。

 というよりそんな話はいいのだ。もっとこの感動を伝えたいのだ。といって一人旅を続けるワシには感動を分かち合う仲間はいない。そこでどうしたかというと電話かけまくり。しかし「今阿蘇に来てんだけどさ」「眠い、(ガチャ、ツー)」というのが大半の反応であった。....そりゃあんまりじゃありませんか?せっかくこの興奮を共有しようと思ったのにぃ!ムキーッ!...後々にしてみれば確かにこれは自分勝手過ぎたのだ。考えてもみましょう。例:「俺今、加○ちゃんと握手してんだよ!この感動を君にも...」「ガチャ、ツー」そりゃ切るわ。もっともすぐにかけ直して「お話させてぇ〜」と懇願はするでしょうが。

 雨がパラつく中阿蘇山を後にし、久留米に戻ったのは夕方。合流したmadaさんと供に筑後川沿いにある「鎮西湖」でバス釣りをする。初めてのポイントなのでどの辺が良いか聞くと、ここより少し離れた岸際に岩がある場所が良いと言うことなので、早速移動。妙に角張った岩に乗り数投してみたが、なんとなく気になり足下を見てみた。なんか字が書いてありますなぁ。なになに...妙○院大○居士、墓石じゃん。「あぁ大丈夫、気にしないで。何も感じんでしょ?」そりゃ感じませんがコワイっての!結局一尾も手にすることが出来ず、ホテイアオイだらけの水辺を後にしたのだった...。

大分県
(7/11~13)

・名所〜高崎山、久住高原、湯布院、別府
・食べ物〜なし
・温泉〜湯布院温泉

高崎山にやってきました 人生の縮図 悟りの境地 親子の猿 エサの時間。そりゃあもう大量のエテ公が
マリンガール(笑) でめーきん(ホントは「水疱眼
(すいほうがん)」というそうです)
くびなががめ 久住高原 基本の飲み方

記録:
 色々あった福岡を離れ、大分県入りする。R210経由で湯布院〜別府を通り、昼過ぎ高崎山に到着。どこかで聞きかじった情報だったのか、ここにはサルが沢山いるという話が頭の中にあったので訪れてみる。山の中に足を入れてみるといるわいるわ、大量のサルが。それも通常山の中に住んでいる半ば野生のサルなので、いつ襲ってくるか気が気でない。『エサをあげないでください』これは分かる。が、『目をあわせないでください』これはなかなか難しいぞ。なんせ目をそらしたすぐ先にはまたサルがいるのだ。その時だった。飼育係のおじさんがおもむろに立ち上がり、小屋の中に入った。それと同時に山が騒がしくなり周りにいたサルもぞろぞろとおじさんの後へ着いていく。どうやらエサの時間らしい。シャッターチャンスと思いいそいそとカメラを撮りだしていると、いつのまにかサルに囲まれておりました。もう一生分見たんじゃないかと思うほどのサルサルサル。しかもエサの奪い合いか、そこかしこで「ギャース!」とケンカが始まり、もう生きた心地がしませんでした。ま、あえて比べるなら「兵庫の絵人>>>サル」というところでしょうが。
 その後ふもとにあるマリーンパレスという水族館を訪れる。ここの目玉は館内の回遊水槽を泳ぐ魚にマリンガールが直接餌付けをするショー。まぁ多くは語らないでおこう、これだけの説明で充分なので。珍しかったのはラッコのショーかな。「大分ナンチャーレ」という地元のJリーグのユニフォームを着、なぜかバスケのゴールにシュートするラッコ君なのでありました。

 夕方、この日からお世話になるMさん宅へ移動。MさんはO大学に通う現役バリバリの大学院生。ということで少し遅い昼飯は学食でと相成りました。大学構内を歩くなぞ非常に久しぶりなワシ、自分ではまだまだ20代前半で余裕で通用すると思っていたのだが、どうも学生共の視線が痛い。つまり場違い、そぐわない人間と言うこと?ワシはいつの間にそんなオッサンになったんだぁ!傷心のままMさん宅に戻り、二人でベロベロになるまで飲んだのでした。青春のばっきゃろー。

 翌日はR10〜242〜442などを経て、久住高原へ。阿蘇とはまた違った雰囲気を持つ高原の道を、快晴の中ロングドライブ。帰りは湯布院で山頭火も浸かったという露天風呂で一休み。遙か遠くに由布岳を見ながら...。その日もMさん宅で宿泊。Web upなどさせていただく。
 次の朝、Mさん宅を出、一路宮崎方面へ。色々お世話になりました。ありがとうございましたm(_ _)m

宮崎県
(7/13~14,15)

・名所〜高千穂峡、照葉大吊り橋、日南フェニックスロード、都井岬、都井岬灯台、えびの高原
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

高千穂峡。観光地化にガックシ ボート無ければなぁ 照葉大吊り橋 伝わりますか? いまいちわかりませんね
とにかく高いんですわ 日南フェニックスロード 南国ですなぁ 都井岬にやってきました 野生馬です
思えば遠くへ来たもんだ 翌朝、とにかくウマー 襲ってこないかとビクビク 都井岬灯台。4箇所目だす ここでもウマー
       
青い空、白い雲

記録:
 宮崎に入りまず始めに壮大な渓谷として有名な高千穂峡へ。期待は大きかったのだが、観光地化が激しく良い思い出は無し。景色はキレイです。
 その後歩く釣り橋で世界最高の高さを誇るという照葉大吊り橋へ。写真では伝わりにくいがホントに高いっす。これを見て、あぁ絶対バンジージャンプは出来ないと感じましたわ。のち、お天気悪しの日南フェニックスロードをドライブ。ある意味宮崎はこれが目的だったのだが、空の悲しい色と供にワシの心も相当寂しかった。コンビニで4連続でコーヒーを当てたのが唯一の救いといえば救いか。
 夜、都井岬着。と、ここまでものすごく簡素に書いているが、実は大分から436km走ってきてるのだ。さすがにコレは長旅を続けている身でもキツく、その日はすぐに寝られるはずだったのだが...。都井岬観光ホテルの駐車場に車を停め、さぁ寝るぞ!と意気込んでいたその時、カッポカッポとなにやら聞き慣れない音が。そう、ここ都井岬は野生馬で有名な地なのだ。よって普通に何気な〜く馬がぽこぽこ歩いており、こっちの都合などまるでお構いなしに寄ってきたりする。これが気になって眠れないのだ。一番怖かったのは、おといれの時でした。深夜真っ暗闇の中、一人車を降り用を足していたその時、何も見えない左舷後方から「かっぽかっぽ」と悪魔の足音が!距離感も何もつかめないまま、やめるわけにも行かず「はよ終われ」とただただ下腹部に力を入れるのみ。ここで目の前に馬が現れたら俺はどうなるのだろうか?丸出しのまま蹴られるのか?それともニンジンと勘違いされて(以下略)。その後恐怖がワシの中にある清潔感を上回り、しぶきも切らずに車に逃げ込みました。おまけだかなんだか知らんが、馬糞まで踏んでしまった。

 翌日は快晴。明るければ全然平気なのでウマと写真撮影、そして都井岬灯台を廻り、昼前には鹿児島入りを果たす。(全国灯台巡り4ヶ所目「都井岬灯台」制覇)

鹿児島県
(7/14~17)

・名所〜鹿児島市街(天文館)、佐多岬(本土最南端)、薩英戦争砲台跡地、鹿屋航空基地&資料館、桜島、霧島神宮、塩浸温泉、
 西郷公園、南州西郷顕彰館、西郷洞窟、指宿、池田湖、開聞岳、知覧特攻平和記念館、吹上浜、西郷誕生の地等
・食べ物〜薩摩地ビール、豚骨、地鶏刺し、薩摩揚げ、きびなご刺し、さつま白波(焼酎)
・温泉〜指宿温泉(砂蒸し)

本土最南端、佐多岬 見よ!この景色! 飛び込みてえ! これだけあるそうです もう南には沖縄しかない
英国を討て! この青空を見ていたのだろうな。英霊に合掌 桜島 噴火しねえかな 危険三連発。これに避難かよ
土石流!? 噴火してから逃げろってか 桜島夕景 塩浸温泉 龍馬とおりょう、新婚旅行の像
西郷公園。でかい! 西南戦争戦没者の墓 桐野利秋(中村半次郎)の墓 南州墓地より桜島を望む 西郷洞窟
台風がやってきました 海は大荒れ〜 指宿。砂蒸しでのひとこま 池田湖。大ウナギは見られず わかるかな?
     
吹上浜 西郷隆盛生誕の地

記録:
 いよいよ本土南端の県へやって来た。内之浦町〜六郎舘岳を経て大隅半島南端、つまり本土最南端「佐多岬」着。来るまでは濃いキリに悩まされたが、なんとか快晴に恵まれたことによって南国気分を思いっきり満喫。吹いても吹いても拭えぬ汗には困ったが、どこまでも青い空と海がそんなことなどすっかり忘れさせてくれた。とにかく景色が素晴らしかった。南国特有の植物が生い茂る中、足取りも軽く岬を廻り続ける。「日本本土最端地、4ヶ所」の看板を見つけ、灯台巡りと合わせもうひとつの目標も出来た。
 次に薩英戦争砲台跡〜鹿屋航空基地を廻る。鹿屋では特攻隊の貴重な資料を目にすることが出来、元々ここへは訪れる予定がなかった自分への嬉しいプレゼントとなった。夕方には桜島着。時間がなかったため登るなど出来なかったのが残念。ただ避難壕などがそこかしこに設置してあり、火山の恐怖を間近に感じることは出来た。ここには住みたくないっす。夜、星空とスコールが交錯する中霧島まで移動。周りにはネコしかいない暗闇の中、ひとりぼっちの夜を過ごす。

 明けて翌日、雨の中霧島神宮、高千穂河原などを廻っていると、雨はますます強くなっていった。えびの高原(宮崎県)に入ったときにそれはピークとなり、一時避難するも天気はなかなかよくならない。結局高原や天の逆鉾は見られず、次の目的地塩浸温泉へ向かうが、こちらはなんと定休日。龍馬とおりょうの新婚旅行の地となった塩浸、ぜひともその湯に浸かりたかったのが、休みでは仕方ない。ならばと「うをつりをし」の龍馬にならい、建物の前にある川で釣り。ウグイを一尾釣ったところでおっさんに「ここは釣り禁止だぁ〜」と怒られる。ならばと「ヒストヲル(ピストル)でとりをうち」の龍馬にならい、そのおっさんを(以下略)。その後鹿児島市内に入り、西郷公園〜西郷南州顕彰館(休館日)〜西郷洞窟等を廻り、洗濯、買い物なども同時に済ます。寝場所に着いたとき、台風12号が見事に直撃。強い風と波の音におびえながらも、疲れていたこともありぐっすり眠った。

 翌日指宿温泉まで足を伸ばし、砂蒸しを体験。満潮だったため浜でなかったのが残念だが、砂の重み、熱さは身に染みた。これで脂肪も落ちれば良いのだが。
 池田湖〜開聞岳〜長崎鼻をざっと見た後、知覧町特攻平和会館へ。鹿児島には基地が多かったのだとこの時初めて知る。鹿屋でも見たがここにも特攻隊員達の遺書が保存してある。涙で読めない。あなたがたは決して悪くない。時代が悪かったのだ。

 次の日は吹上浜〜さつま湖と回った後、再度市内へ入り西郷顕彰館を見学。その後は市内中心部を徒歩で散策。人が多く集まる天文館通りでは美味に舞い美酒に酔う。維新ふるさと館〜西郷隆盛生誕地を見た後、鹿児島を離れる。R3〜串木野〜川内〜阿久根〜出水を経由し、夜半に熊本入り。水俣〜八代を通り不知火で就寝。
 余談:鹿児島の人たちは、土地(自分達の住んでいる地)にものすごく誇りを持っていた。これはここまで旅をしてきて初めて感じたことだった。国、土地に誇りを持てるなんてなんと羨ましいんだろう。自分も本物を見極める目を持たなければと強く感じた。さらに余談だが、某右寄りの街宣車が、「おさかな天国」を大音響でかけながら市内を走っていた。アレは一体なんだったんだろう?御存知の方教えてください。(本土最南端「佐多岬」制覇)

熊本県(第二部)
(7/17~20)

・名所〜熊本城、水前寺公園、田原坂、天草諸島
・食べ物〜熊本ラーメン
・温泉〜なし

黒金の城 舞ってみたりする 水前寺公園 市街移動には電停が便利 西南戦争激戦地、田原坂
 
歴史の重み 坂を歩く 天草、崎津天主堂 観光地でもこんなんばっか

記録:
 あまりの暑さにふと起きると、熊本の空はドピーカンに輝いていた。まずは熊本城。ジジババの団体にもまれながら一通り見て回るが、期待していたほどではなく、天守以外の建物の方が良いという悲しい結果に終わる。車を置き、市電で水前寺公園へ。キレイでした。それだけ。
 昼過ぎ、熊本と言えばココ!(そうか?)西南戦争激戦地「田原坂」へ。ここでも趣味丸出しで、資料館やら坂やら時間の許す限り見て廻った。思ったより坂は長く往復にかなり苦労したが、自分が歴史の1ページに潜り込んだようで疲れをあまり感じなかった。道の途中土手を掘ってみたが、銃弾は発見できず。のち、近くの薩軍墓地、七本官軍墓地をお参りする。雨が降り出した。
 熊本ラーメンを食べた後、天草諸島へ。小さい半島だと思っていたのだが、実はものすごくでかかった。これでは今日中に廻るのは不可能ということで、有明で就寝。雨音が強烈にうるさかった。

 明けて次の日も雨。崎津天主堂〜牛深などを見た後、不知火へ戻る。端から端までほぼ120kmあった。あらためて島の大きさを感じながら、軽く入浴を済ませ佐賀方面へ向かう。一度福岡県に入り、道の駅「おおむた」で「耳をすませば」を観た後就寝。しかし天草のさきっちょ、牛深市は色んな意味で凄かった。どうかこれからも今のままでずっとあって欲しい。

佐賀県
(7/20,23,25,26)

・名所〜有明海、波戸岬、虹ノ松原
・食べ物〜なし
・温泉〜嬉野温泉

延々と続く有明の干潟 ガタスキー 黒い点々=カニ ムツのジャンプ待ち? ムツゴロウ
       
波戸岬

記録:
 さて佐賀県。ハッキリ言ってここには何があるか知らない。有明海くらいだと思っていたらほとんどその通りだった。他にも焼き物などで有名なのだが、残念ながらワシのお眼鏡にはかないませんでした。年食ってからもう一度来ます。
 というわけでやって来たムツゴロウが住む海、有明の潟。ちょうど運良く干潮に行ったせいか、広々とした潟を思う存分眺めることが出来た。足下にはカニが大量にいる。ちょっと動くと一斉に巣穴に潜り、時間が経つとのそのそと這い上がってくる。警戒心の薄いヤツだ。お目当てのムツゴロウはどうやらもっと沖にいるらしいが、肉眼では確認できず、資料室にある望遠鏡で覗くことにする。すると遠くでぴょこたんぴょこたんと跳ねてるではありませんか。くぅ〜ひっかけてええ!!魚紳さん、なんとかならねえべか?とは言わなかったが、せめてムツかけ漁は見てみたかった。休日だからやってなかったなんて、そんなのナシよ。午後、長崎方面へ。

長崎県
(7/20~25,28)

・名所〜長崎市街(原爆関連)、雲仙、グラバー園、大浦&浦上天主堂、オランダ坂、出島、眼鏡橋、亀山社中跡、
 丸山・花月、稲佐山、ハウステンボス、本土最西端(小佐々町)、平戸
・食べ物〜ちゃんぽん、皿うどん、
・温泉〜なし

「前方に見える普賢岳は」‥‥見えねえ!

仕方ないから踊る 火砕流が流れた跡 寒いんですよ ようやく晴れてきた
絶景! かっこいい? 溶岩ドーム 大浦天主堂 グラバー園
ロマンスおねえさん オランダ坂。寝っ転がって撮影 まじ出島! 眼鏡橋 亀山社中跡
龍馬銅像 丸山・花月 サンセットマリーナからの夕景 1000万ドルの夜景 実は結構撮影技術いるのよ
平和記念像 爆心地 浦上天主堂 ひとりさみしくハウステンボス 乗りてえなぁ〜観光丸
乗っちゃった 先端の網を歩けます。怖かった 日本じゃないみたい 本土最西端、小佐々町 ひとりでひとつ手に持ったせんこう花火
     
月を奪え! 平戸でチヌ釣りをする

記録:
 佐賀を出発し長崎県は島原半島に入ったのは夕刻。諏訪池で釣りをした後、ほとりで就寝。翌日は3時に起き7時まで釣りをした後、雲仙へ。朝からなんとなくイヤな予感はしていたのだが、いざ仁田峠に入ると超濃霧に見舞われ、何も見ることが出来ない。おまけにもの凄く寒い!が、ここまで来て山が見られないのは悲しいので、結局晴れ待ちをする事にした。昼過ぎになりようやく霧が晴れ、あとは写真の通り素晴らしい景色を堪能。やはり普段の行いが良い人間を、神様は見ていてくれるものだ。「山の天気は変わりやすい」とかそういった無粋な事は言わないように。
 昼過ぎ雲仙を出発し、諫早〜長崎市内を通り長崎半島先端の川原大池に着いたのは夕刻であった。目的は釣りだったのだが、ここは海も近く一大キャンプ地と化していた。アホな若者、花火、爆竹のせいで全然眠れず、仕方ないので丸山の全米ツアーを観る。気付いたら寝ていた。

 翌朝、昨夜あれだけうるさかったのに、気付いたら周りには誰もいなかった。思えば今日は月曜日、ヒマ人の本領発揮だ。この日は市内観光。大浦天主堂〜グラバー園〜東山手十二番館〜オランダ坂〜出島〜眼鏡橋〜亀山社中跡〜龍馬銅像〜丸山・花月〜新地中華街と歩ける限り廻った。グラバー園では新しくopenする館のセレモニーに立ち会ったり、ちゃんぽんを食したり。亀山社中は残念ながら閉館日で観ることが出来なかったが、急な坂は堪能できた。とにかく長崎は坂の街だった。大通りを一本裏に入ればもう坂。しかも急で、細い路地は階段を使って上り下りしなくてはならない。引っ越しとかどうするんだろうといらぬ心配をしながら、その日三本目となるペットボトルに口をつけた。今までで一番歩いたのではないだろうか?とにかく疲れた。
 のち、稲佐山に移動。今夜の寝場所を探すことも含んでいたが、ここ長崎はあまり寝られる場所がない。道の駅もなく、深夜まで開いている駐車場もない。仕方なく色々公園を巡るも結局すべて夜間立ち入りは禁止であった。途中立ち寄ったサンセットマリーナで夕日を見、その後再度夜景を見るため稲佐山へ登る。いやもうとにかく寂しかった。一人で来るもんじゃありません。ロープウェーの中で「カメラマンですか?」と聞かれる。「そうだよアハハ」と答えるしかなかった...。その後、付近の道路にちょっとしたスペースがあったので、そこに車を停め眠ることにする。坂で寝づらいが仕方ない。ウトウトしかけた頃「コンコン」と窓を叩く音。この旅初の職務質問を受ける。もう少しで眠れたのに!

 翌日は原爆関連地を見学。平和公園〜爆心地〜原爆資料館〜浦上天主堂。どれもが戦争の爪痕を生々しく感じさせる。平和が一番!とは言わないが、原爆を落とす事となった当時の状況にとてつもなく腹が立つ。といいながら皿うどんをペロリとたいらげている自分もいる。今日も平和だ。
 その後、一端佐賀に入り、嬉野温泉で入浴。野池で釣りをした後、嬉野高速バス乗り場で就寝。

 明けて次の日、佐世保に入り「ホントに一人で行くの?」と言われ続けた「ハウステンボス」へ。勝海舟がアメリカに渡る際に乗船した観光丸が復元されており、さらに乗船も出来るということで、当然乗る。30分程度の短い航海だが、色々体験できて面白い。中でも航行中の船の舳先にかかる網の上を歩けるという、今考えると恐ろしい体験もした。ぜひ一度お試しを。ちぢみます。
 これといって面白いアトラクションはないのだが、結局一日いてしまい、さあ帰ろうと思ったとき何か手が寂しいのに気付く。なんと京都で買った扇子を落としてしまった!気に入った品をなくしたくないので、いつ落としたかなど色々思い出す。「エッシャー館でウキウキしていたときか?それとも矢口真里似の係員とウキウキで話していたときか?」となんだかんだウキウキで過ごしていた自分の恥ずかしさも忘れ、探しまくるも見つからない。係員に頼み今まで入ったアトラクション内も探すが見つからない。とその時、別の客も落とし物をしたらしく同じ館内に入ってきた。向こうは何を無くしたんだろう?どうせ大したものじゃあるまいと思っていた矢先、耳に入ってきたのは「コンタクト落としたんですけど」...負けたよ、あぁ負けた。君の勝ちだ。係員総動員で探したまえ。その後、遺失物捜索願を出すも、結局見つからず終い。さようならハウステンボス。
 悲しいまま本土最西端、小佐々町にたどり着く。最南端と違い、ここはもの凄くサビれていた。ハッキリ言ってたどり着くのにも相当苦労した。漂着、というのが正しい書き方であろうか?とにもかくにも一応観光地としてもう少しなんとか出来ない物なのだろうか?その後田平まで移動し、ひとり線香花火やらバカ写真を撮った後寝る。いや、寝たかった。夜半再び「コンコン」。この旅二度目の職務質問であった。ワシ:「ついこの間もされましたよ、市内で」警官:「長崎の警官はヒマなんでしょ」あんたも長崎だろ

 翌朝、佐賀に入り、波戸岬〜虹ノ松原を経由し、再度福岡に入ったのであった。(本土最西端「小佐々町神崎鼻」制覇)

福岡県(第二部)
(7/25~30)

・名所〜久留米市街、筑後川
・食べ物〜なし
・温泉〜なし

初めての50up(於:鎮西湖) madaさん働いてます 奇跡の一枚!(ワシはイヌギライ) 何をしようとしてるの?

記録:
 九州を一回りし、再び福岡県久留米市に入ったのは昼過ぎであった。この日より再度お世話になるmadaさんは仕事中のため、鎮西湖で釣りをしながら合流を待つことにする。こんなワシはまるで太公望の様だ。しかし当然ながら文王は現れず、madaさんが時間より早くニコニコと現れた。ありがたいことです。
 今回の久留米滞在は色々あった。久留米ラーメン、生涯初の50cm upのバスget、出発してから一度も変えなかったオイル交換・タイヤローテーション、そしてなんといっても夜の町、堪能。madaさんなじみの焼鳥屋や大人のお店に連れて行ってもらい、結果ウハウハで九州を締めくくることが出来たのだ。彼にはホント心から感謝。「これぞ九州男児」をまともに体験した気がする。今度一緒に何かぶちあげませんか?もちろんチーム名は「九州ダンジーズ」で。

 「久留米のMたん」さんにもお世話になる。夕食をご馳走になったり長崎でダゴチン釣りを教わったり、これからの旅の指針を示して頂いたりとお忙しい中インチキ男をもてなして頂いたのです。有り難うございましたm(_ _)m ダゴチン釣り(ダンゴでクロダイを釣る)では外道しか釣れなかったが、普段やりなれないせいか色々と勉強になる。しかし色々な釣り方があるものだ。ボラを釣って喜んでいたのには正直驚いた。関東では外道中の外道だす。
 佐賀県の横武クリークという、どう見てもドブ川としか見えない所でバス釣りをしたのも良い思い出だ。しかし西日本はホントに自然が多い。横浜がなさすぎるのだろうか?地元では釣りをしていて寄ってくるのは蚊やアホガキのみだが、こちらではカエルからバッタからカメからなんでもやってくる。イモリなど見つけようものなら狂喜乱舞だ。恥ずかしい話自然のイモリなど見るのは初めてなのだ。これだけでもワシがどれほど悪い意味での都会っ子であることが分かっていただけると思う。

 というわけで、非常に有意義な九州一周は終わった。この島国(あえてこう表現させて頂く)では「男」を教わった気がする。なんと自分のためになった三週間であろうか。せかせかとした今までの人生に反省、そしてこれからの目標がなんとなくだがおぼろげに見えてきた気がした。犬もさわれるようになったし。(山陽地区下部、山口県第二部へ)

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